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仙台地方裁判所 昭和48年(ワ)75号 判決 1977年11月07日

原告

黒沼京子

原告

黒沼正則

原告

黒沼利明

右原告正則、同利明未成年につき法定代理人親権者母

黒沼京子

右原告ら訴訟代理人弁護士

佐藤唯人

外三名

被告

右代表者法務大臣

福田一

右指定代理人

宮村素之

外五名

主文

一  被告は、

1  原告黒沼京子に対し金一三四三万四八八四円および内金一二四三万四八八四円に対する昭和四五年四月一四日から、内金一〇〇万円に対する昭和四八年二月二八日から各完済まで年五分の割合による金員

2  原告黒沼正則、同黒沼利明に対し各金一一一三万四八八四円および各内金一〇一三万四八八四円に対する昭和四五年四月一四日から、各内金一〇〇万円に対する昭和四八年二月二八日から各完済まで年五分の割合による金員

を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その三を原告らの、他を被告の各負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1  被告は、原告黒沼京子に対し金二一三五万七〇六八円および内金一八五七万一三六四円に対する昭和四五年四月一四日から、内金二七八万五七〇四円に対する昭和四八年二月二八日から各完済まで年五分の割合による金員、原告黒沼正則、同黒沼利明に対し各金一五二六万二〇六八円および各内金一三二七万一三六四円に対する昭和四五年四月一四日から各内金一九九万〇七〇四円に対する昭和四八年二月二八日から各完済まで年五分の割合による金員、を各支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二、請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  予備的に仮執行免脱の宣言

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  検査事故発生までの経過

原告黒沼京子の夫、同黒沼正則、同黒沼利明の父であつた亡黒沼正五郎(以下「正五郎」と略称する。)は、昭和四四年暮頃より上下肢の発作的な麻痺等の症状を訴えていたが、昭和四五年三月一七日国立東北大学医学部附属病院(以下「大学病院」と略称する。)の内科外来を訪れ、その後同月二三日より、同病院第二内科(当時の鳥飼内科)に入院した。正五郎は、入院後間もなくバセドウ病(以下「甲状腺機能亢進症」とも、「甲状腺中毒症」ともいう。)であり、発作的に起こる上下肢の麻痺は、バセドウ病に合併した周期性四肢麻痺であると診断され、アイソトープによるバセドウ病の治療を受けることになつた。正五郎は、入院後は上下肢の麻痺発作も起こらず非常に元気で、やがてアイソトープによる治療を受けて全快し、退院するのを楽しみにしていた。ところが、同年四月一三日右第二内科教授鳥飼龍生(以下「鳥飼教授」と略称する。)および同内科医師で正五郎の主治医である斉藤慎太郎(以下「斎藤医師」と略称する。)の指導監督のもとに、同内科医師村田輝紀(以下「村田医師」と略称する。)によつて実施されたインシュリン・ブドウ糖負荷試験(以下「本件検査」と略称する。)の結果、正五郎は「急性心停止」により死亡してしまつた。

2  被告の責任

(一) 債務不履行による責任

正五郎は、昭和四五年三月一七日、大学病院すなわち被告との間で、被告が正五郎の病気について診断並びに治療をする旨の準委任契約を締結した。したがつて、大学病院は、右契約の本旨に従い善良な管理者の注意をもつて、適切な診断と治療をなすべき注意義務があつた。しかるに、大学病院は、左記のとおりの注意義務に違反して本件検査を実施した結果、正五郎を「急性心停止」により死亡させてしまつた。しかも、正五郎は、死亡する数日前の同年四月八日にも本件検査を実施され、その際、インシユリン・ブドウ糖の点滴終了直後に便所に行つたところ、顔面蒼白となつて冷汗が出、歩行困難となり、看護婦に手押車で病室まで連れてこられたこともあつた。また、正五郎は、検査後、看護婦、同室の患者、見舞に訪れた原告京子らに対し、頭痛など検査の副作用による苦痛のひどさを訴え、第二回目の検査(同年四月一三日施行)が行なわれる前には、村田医師に対し、本件検査をしないよう懇願していたのにもかかわらず、村田医師は、再度本件検査を施すことの危険性をまつたく検討することなく、また正五郎に対し、本件検査の意義、内容および危険性等について十分な説明をすることなく、再度本件検査を実施し、さらに、本件検査実施後は、正五郎の状態を監視すべき義務を懈怠し、回復措置をも遅滞したものであるから、被告は右契約に基づく債務の不履行によつて生じた損害を賠償する責任がある。

(1) 本件検査の必要性

(イ) 正五郎に対して実施し、その結果同人を死亡するに至らしめた本件検査は、四肢麻痺を人工的に誘発するための検査で、バセドウ病の治療上必要のない検査である。すなわち、正五郎の外来での初診時および入院時に記録された「現病歴」および「現症」(甲第五号証の三以下および乙第一号証の二)によると、正五郎は、昭和四五年一月一一日午前三時頃、尿意を催したので、便所に行こうと思つたところ、両上下肢に力が入らず、起立出来なかつた(なお、前の晩餅を食べている。)。その後、四肢麻痺発作(起立困難)がいずれも朝に七、八回あり、そのうち、二回は過食によるものである。その外、動悸、全身、特に手指の震え、体重の減少、眼球突出、洞性頻脈等の症状があつたということである。ところで、「周期性四肢麻痺は典型的な発作が病歴にみられることにより知ることができる。この反復性の脱力のパターンをとる病気は他にはない。」(甲第一九号証三四五頁「診断」の項)ということであり、また、「もし診察したときに患者が自然の発作をおこしていなければ、低カリウム血性のものと高カリウム血性のものとを識別する唯一の方法は麻痺を誘発することである。」(同号証三四六頁)というように、麻痺の誘発は、周期性四肢麻痺の存在自体の確定のためではなく、その周期性四肢麻痺が、低カリウム血性(発作時に血清カリウム濃度が低下するタイプ)のものか、高カリウム血性(発作時に血清カリウム濃度が上昇するタイプ)のものかを識別するために必要であると説かれていること、周期性四肢麻痺は「入念な病歴聴取が必要で、それのみで診断が確定する場合が多い。麻痺の多くは夜間就眠中に起こり、朝起床時にあるいは深夜用便に立とうとして気づく。」「過食(とくに糖質の)、飲酒、過労などが誘因となる。」(甲第二五号証三四頁)ということであること、甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺の場合には「甲状腺中毒症としての症状、すなわち、眼球突出、振顫、発汗、体重減少、頻脈、高血圧などを大部分の症例が示している。」(甲第二三号証三七頁)ということである。以上の点を総合すれば、正五郎の場合も、病歴聴取により、甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺であるとの診断がなされていたものと十分推認しうるのであり、このことは、第二内科においては、温度板に診断名を記載する際、まず主治医が鉛筆書きで診断名を記載しておき、教授の回診により、それが正しいとされた場合に、鉛筆書きの病名をペン書きに改める慣例があつたということであるが、正五郎につき記録された温度板のうち、一枚目(甲第六号証の一)を見ると、鉛筆書きの診断名がペン書きに改められており、二枚目(同号証の二)を見ると、診断名が最初からペンで書かれている。これは、昭和四五年四月七日の教授回診によつて、主治医の診断名が正しいとされたことを示している(同号証の二は、同日からの記録である。)こと、看護日誌(甲第九号証の三)によると、同日に二週間後の退院の許可が出たことが明らかであるが、これは同日の回診で、病名も確定し、退院の見通しもついたことを示していること、診療報酬請求明細書のうち、昭和四五年三月分のもの(甲第一二号証の一)の傷病名の欄に「周期性四肢麻痺」と明記してあること等からも裏付けることができる。また、甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺においては、低カリウム血性以外のものは非常に稀有のことであること、医師の指示書(甲第八号証の一)によると、同年三月二六日の時点で、斉藤医師が看護婦に対し、麻痺発作時の措置として、カリウム剤の投与を指示しているということは、正五郎の周期性四肢麻痺かあるいは高カリウム血性のものであるかも知れないなどということは、全く同医師の念頭になかつたことを示すものであること、当時第二内科の科長であつた鳥飼教授の甲状腺機能亢進症に合併する周期性四肢麻痺に関する著書および論文のいずれにも、高カリウム血性の周期性四肢麻痺について、一切言及されていない(単に、「血清Kは発作中には低下する。」(甲第一五号証三五頁)とか「発作時に低カリウム(K)血を示し」(甲第一六号証四四頁)とか記されているのみである。)こと、その他、正五郎に対する本件検査が、主治医の指示によつてではなく、村田医師からの要請によつて施行されたものであること、本件検査の施行された時期が、入院後かなり経過した時期であること、第二内科において、周期性四肢麻痺の患者全員に対し必ずしも本件検査を施行しているものではないこと(甲第一四号証一二〇頁)、正五郎の死後、第二内科においては一、二件を除いて、本件検査を施行していないこと等からも、本件検査が必要でなかつたことは明らかであり、しかも、バセドウ病に合併した周期性四肢麻痺の場合には、バセドウ病の治癒とともにその症状も消失するのが常であるから、正五郎についてはバセドウ病に関する適切な治療さえ施されれば、全快して退院できたはずであり、本件検査は必要がなかつたものである。

(ロ) また、本件検査の本質は、村田医師によつてなされた研究上の人体実験であつたから、本件検査はその必要がなかつたものである。すなわち、正五郎に対する本件検査が、主治医の指示によつてではなく、村田医師からの要請によつてなされたこと、村田医師の本件検査に対する経験内容は、本件検査を見学したことが一回、自分で施行したことが一回、他の医師の手伝をしたことが一回ということであり、また、周期性四肢麻痺の研究をやろうと考えたのが、正五郎に対し本件検査を施行する三か月位前であつたということであり、正五郎が重篤な症状に陥つた際にも、塩化カリウムの投与の方法について、たまたま来合わせた小林勇医師(以下「小林医師」と略称する。)の判断を仰いでいるような状態であつて、知識、経験ともそう豊富であるとは考えられないこと、村田医師は、周期性四肢麻痺の研究に従事し、なかでも「電解質とか、水分の移動が、麻痺が起こつたときにどういうふうになるか」ということを研究のテーマとしており、「麻痺が起こるときに、主として水分が細胞の中に取込まれるという説」について、「本当にその通りになるかどうかを調べてみたいという気持」があつたということ、村田医師が医師の指示書(甲第八号証の二)において、本件検査を施行するに当り、看護婦にマンニツトールの準備を指示し、「もし麻痺が誘発された時は二〇%マンニツトール三〇〇ml静注にて麻痺が改善するかどうかをテストします。」と明記していること、このマンニツトールというのは、高浸透圧液であつて、細胞内から水分を引き出すという作用をはたすものであるが(甲第二四号証七九七頁)周期性四肢麻痺の回復のための薬品として一般的に使用されていたものではないこと、大学病院においては、研究至上主義の傾向が強く、患者を対象とした研究のための実験が行なわれていること(例えば、鑑定書添付の文献のうち、国分豊明「カリウム欠亡症の臨床的研究―特に周期性四肢麻痺における筋麻痺と心電図変化―」は、「周期性四肢麻痺誘発実験」という言葉を用い、「K欠乏の研究に最適である。」と述べている。)等から、正五郎に対してなされた本件検査が、研究のための人体実験であつたことが明らかであるが、しかもそのやり方は、人体実験のための指針の一つとされている「ニユールンベルグ綱領」にもられている、「被験者が、実験の性格、予期しうるすべての不利と危険、実験に関与することからおこりうる健康や個体への影響などを知らされた上で、自発的に同意すること」とか「被験者を傷害死から守るため、いかに可能性のすくないものであつても適切な設備を整えておくこと」とか「実験中、実験の続行が、被験者に傷害や死を結果しうると思われるときに要求される誠実性、技倆、判断力の維持に疑念の生じたときには、いつでも実験を中断する用意をしておくこと」といつたような基本的原則とまつたくかけはなれたやり方であつて、到底許されるものではない。仮に、本件検査が、正五郎の周期性四肢麻痺の診断上必要な検査であつたとしても、その中に、人体実験の意図も含まれていたことは否定できないことである。

(2) 本件検査の危険性

本件検査は、被検査者に対し、副作用による非常な苦痛を与え、特に心臓に対する影響が顕著である。すなわち、生体中には、カリウムやナトリウム等の電解質(イオン)が存在するが、カリウムは、その大部分が細胞の中に含まれ、細胞の膜を通して血液など細胞外液中に含まれているカリウムとのバランスのとれた濃度差をつくり、この細胞内と細胞外液中のカリウムの濃度差によつて生ずる電気的反応により、筋肉の収縮や拡張などを円滑に行なうのに重要な役割を果している。このことは、心臓においても心筋細胞内と血液中のカリウム濃度差が二五ないし三〇倍に保持されていて、カリウムは心臓の収縮や拡張、規則正しい拍動の維持に重要な役割を果たしているのであり、このように、心臓においても、血液中のカリウムの濃度が心筋細胞内の濃度に比して著しく低いため、血液中のカリウムの濃度のわずかの変化が、この濃度差のバランスを崩し、心臓の生理機能に異常を生じさせ、不整脈さらには心停止をもたらすこともある。ところで、本件検査は、濃度の高いブドウ糖液にインシユリンを加えたものを静脈内に点滴注射し、ブドウ糖とインシユリンの働きにより血液中のカリウムを細胞内に細胞膜を通して送り込み、人工的に血液中のカリウムの濃度を急速に低下させ、低カリウム血状態をつくり出すことを目的とするものであるが、その結果細胞内と血液中のカリウムの濃度差のバランスが大きく崩れ、心臓においては、右のように不整脈や心停止などの心機能異常を生じさせる危険性があり、生命の危険を伴う非常に危険な検査といえるのである。

なお、低カリウム血状態における症状としては、右に述べたほかに、悪心(吐気)嘔吐、筋力低下、運動麻痺、呼吸困難などがあらわれる。

(3) 監視義務の懈怠

(イ) 一般的監視の懈怠

本件検査に際しては、患者の状態を監視し、「試験実施中は頻脈や不正脈、血圧の測定を行ない、心電図を観察しながらQT時間の延長、U波高の増大、QRS棘、ST低下、T平担化などの変動に注意し、他方握力、下肢の屈曲伸展、挙上試験を行ない、腱反射の変化を観察するのが常である。」(甲第二〇号証六八四頁)とされ、また、「これらの誘発試験においては、たえず血中カリウム値や患者の状態を監視し重篤な事故を予防する必要がある。」(甲第二一号証二六三頁)とされているのに、村田医師は、本件検査中、絶えず正五郎の状態を監視し続けていたものではなく、このことは、昭和四五年四月一三日午前一一時四〇分の時点において、正五郎の病室からのコールホーンによる呼出があり、看護婦の木村あきよが行つてみると、正五郎が顔面蒼白で手と足が麻痺し、胸が苦しいと言つていたことや、同室の入院患者らも、医師や看護婦は終始正五郎のそばに付添つていたわけではないと言つていることからも明らかであり、したがつて、村田医師は、右監視義務に違反していたものである。

(ロ) 心電図による監視の懈怠

本件検査は、すでに述べたとおり、心臓の生理機能に異常を生じさせる可能性のある非常に危険な検査であるから、本件検査の実施に際しては、心電図による心機能の状態の監視を経時的に行なわなければならないにもかかわらず、検査実施者である村田医師は、正五郎が死亡した第二回目の検査の際にもこれを怠り、正五郎が重篤な症状に陥つてからはじめて心電図による監視を行ない、このため、正五郎が著しい低カリウム血状態になつていることに気づくのが遅れ、ひいては、低カリウム血状態からの回復措置を講ずるのが遅れてしまつたのである。

(4) 回復措置の遅滞

昭和四五年四月一三日に施行された第二回目の本件検査の際、インシユリン・ブドウ糖の点滴終了後の午前一〇時三〇分には、正五郎に軽度の四肢麻痺が生じ、動悸がみられ、午前一一時には、下肢挙上時間が零に近くなつており、午前一一時四〇分には、全身の脱力感があり、結滞(不整脈の一種)がみられ、吐気をもよおしている。したがつて、村田医師は、すでに検査の目的を達したとみられる午前一一時に、あるいは少なくとも異常な症状が見られた午前一一時四〇分には、ただちに検査を中止して回復措置を講ずべきであるにもかかわらず、その後も検査を続け、正五郎が重篤な症状に陥るまで何らの回復措置を講じなかつたものである。

(5) 村田医師に要求される注意義務の程度

人の生命および健康を管理する業務に従事する医師は、その業務の性質に照らし、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるものである(最判昭和三六年二月一六日民集一五巻二号二四四頁、同昭和四四年二月六日民集二三巻二号一九五頁)。本件の場合には、本件検査が国立大学の附属病院において行なわれたものであること、本件検査が周期性四肢麻痺の診断上必要なものではなく、研究上の実験として施行されたものであること、仮に、診断上必要な検査であつたとしても、周期性四肢麻痺は甲状腺機能亢進症が治癒すれば消失するものであり、検査自体もその根治療法ではなく、対症療法を決定するものであるに過ぎず、生命にかかわりのある病気の治療の場合とは異なること(正五郎は入院中もまつたく元気で、死亡するなどということはまつたく考えられなかつた。)、しかも、研究上の実験としての意図もあつたこと、患者の病状や本件検査の意義にくらべ、本件検査の危険性の度合が非常に高いこと等の理由により、特に厳しい注意義務が課せられなければならないのである。

(二) 不法行為による責任

前記鳥飼教授および斉藤医師の指導監督のもとに本件検査を実施した村田医師には、バセドウ病の治療上必要のない危険な本件検査を実施すべきでないのに実施した過失、および昭和四五年四月八日に施行された第一回目の検査により、正五郎は副作用によるかなりの苦痛を訴え、再度本件検査を施すことの危険性を十分検討すべきであつたにもかかわらず、まつたく検討することなく、また、正五郎に対して、本件検査の意義、内容および危険性について明確な説明をしないまま、再度漫然と本件検査を実施した過失があるから、村田医師には不法行為に基づく損害賠償責任がある。そして、同医師は大学病院に勤務する医師であるから、被告は民法七一五条により損害賠償責任を負うというべきである。

3  損害

(一) 正五郎の得べかりし利益の喪失

(1) 正五郎は、バセドウ病になるまではまつたく健康で、天童市を中心とした山形県内の読売新聞店の販売拡張員として元気に働いていたが、同人は死亡当時四五歳一か月であつたから、本件検査事故によつて死亡することがなければ、バセドウ病も治癒し、満四六歳から満六七歳まで少なくとも二一年間は、新聞の販売拡張員としてさらに働くことができたはずである。

(2) ところで、昭和四四年度における正五郎の新聞販売拡張員としての年間所得は一一一万〇七二〇円(三二〇円((一部当りの拡張料))×三四七一((拡張部数)))であつたが、昭和四九年七月より一部当りの拡張料が八八〇円に増額となつたので、満四六歳以降も昭和四九年六月までは右と同程度の、同年七月以降は三〇五万四四八〇円(八八〇円((一部当りの拡張料))×三四七一)の所得が毎年あつたとみるべきである。また、昭和四四年度における正五郎の生活費は多くみて一か月二万円、年間二四万円であるから、正五郎の昭和四九年六月までの年間逸失利益は八七万〇七二〇円となる。同年七月以降は正五郎の生活費が所得に占める割合を三〇パーセントとすると、正五郎の同年七月以降の年間逸失利益は二一三万八一三六円となる。右の数字に基づいて、正五郎の満六七歳に達するまでの二一年間分の逸失利益をホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除して算出すると(ただし、計算の便宜上、所得、生活費とも正五郎が満五〇歳になる時点((昭和五〇年二月))で前記のように変動があるものとして計算する。)二四八一万四〇九三円(870,720円×((4.364−0.952))+2,138,136円×((14.580−4.364)))となる。したがつて、正五郎は本件検査事故により、右の二四八一万四〇九三円の得べかりし利益の喪失による損害を被つたというべきである。

(3) 原告京子は正五郎の妻として、同正則、同利明は正五郎の子として、右損害賠償権のうちその三分の一に当る八二七万一三六四円をそれぞれ相続した。

(二) 葬祭費

正五郎の死亡により、原告京子が主宰して葬儀を行なつたが、それに要する費用として、同原告において三〇万以上を支出した。

(三) 原告らの慰藉料

原告京子は、まつたく思いがけない本件検査事故のため、突然一家の柱であつた夫に先立たれ、現在自ら若干の収入を得るかたわら、生活保護を受けながら、二人の子供とともに、精神的、肉体的、経済的に非常に苦しい生活を送つている。原告正則および同利明も幼くして父を失うこととなつてしまつた。したがつて、正五郎の死が原告らに与えた悲しみ、苦痛は非常に大きく、この精神的苦痛は、原告京子については少なくとも一〇〇〇万円、その余の原告らについては少なくとも各五〇〇万円をもつて慰藉されなければならない。

(四) 弁護士費用

原告京子は、原告訴訟代理人らとともに前記第二内科に赴き、鳥飼教授らに対し、正五郎の死について真相を質したが、同教授らは大学病院側の非を一切認めないので、やむなく原告訴訟代理人らに本訴の遂行を依頼したが、本件訴訟の弁護士費用として被告に負担させるべき金額は、各原告が取得すべき弁護士費用以外の損害賠償額の一割五分が相当であるから、原告京子については二七八万五七〇四円、その余の原告らについては各一九九万〇七〇四円となる。

4  結論

したがつて、原告京子に対し、二一三五万七〇六八円および右金額から弁護士費用を控除した一八五七万一三六四円に対しては正五郎の死亡した日の翌日である昭和四五年四月一四日から、弁護士費用二七八万五七〇四円に対しては訴状送達の翌日である昭和四八年二月二八日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、その余の各原告らは被告に対し、各一五二六万二〇六八円および右金額から弁護士費用を控除した各一三二七万一三六四円に対しては右昭和四五年四月一四日から、弁護士費用各一九九万〇七〇四円に対しては右昭和四八年二月二八日から、各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、の各支払を求める。

二、請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、正五郎が昭和四四年暮頃より上下肢の発作的な麻痺等の症状を訴えていたこと、正五郎が入院後も非常に元気で、やがてアイソトープによる治療を受けて全快し、退院するのを楽しみにしていたことはいずれも不知、その余の事実は認める。ただし、正五郎の発作的に起こる上下肢の麻痺は、バセドウ病に合併した周期性四肢麻痺ではないかと疑われたものであつて「診断」されたものではないし、また、本件検査はインシユリン・ブドウ糖による四肢麻痺誘発試験ともいわれている。

2  同2(一)の事実中、昭和四五年三月一七日、正五郎と被告(大学病院)との間で被告が正五郎の病気について診断並びに治療をする旨の準委任契約を締結したこと、したがつて、被告は、右契約の本旨に従い、善良な管理者の注意をもつて、適切な診断と治療をなすべき注意義務があつたことは認め、その余の事実は争う。なお、原告らは、本件検査がバセドウ病の治療のためのものであるというが、本件検査は周期性四肢麻痺が存在するかどうかを知るためのものである。

3  同3、同4については、いずれも争う。

三、被告の主張

1  事実の経過

(一) 正五郎は、昭和四五年三月一七日、大学病院第二内科の外来を訪れ、新患診察医である小林医師の診察を受けた。小林医師の問診に対し、正五郎の述べたところによれば、正五郎は、同年一月一〇日山形県鶴岡市でバイクに乗つていて転倒し外傷を受けた。その翌日一一日午前三時頃、尿意を催したので、便所に行こうとしたところ、両上下肢に力が入らず起立できなかつたので、同宿していた同僚に助けられて便所に行き自然排尿した。右の麻痺は同月一二日午後三時半頃まで続いたが、次第に回復し、翌一三日午前中には起立することが可能になつた。その後、起立ができないほどはなかつたが、入浴した翌朝、下肢の力が抜けて起立することが困難となることが数回あつた。このため二人の医師の診察を受けたが、脱力発作の原因は不明で経過も思わしくなく、また、同年一月頃から手指の震えも気になつていた、というものであつた。なお、正五郎には既往症は存在しなかつた。小林医師は、以上の問診の結果と理学的所見(視診、打診、聴診、触診による所見をいう。)から、甲状腺中毒性筋異常症、なかでも甲状腺中毒性周期性四肢麻痺を疑い、正五郎に対し、第二内科に入院して精密検査を受けるように勧め、同人はこれを承諾し、同年三月二三日第二内科三〇八号室に入院した。

(二) 入院当初、正五郎の受持医となつた斉藤医師は、正五郎から、更に詳しく病状について聴取したが、その結果次のことが明らかとなつた。すなわち、正五郎には、同年一月一一日以後に、二回にわたつて発作性の両上下肢の脱力があり、これらはいずれも朝方に起こつた。また、昭和四四年一二月頃より痩せてきて、第二内科入院時は健康時の六四キログラムから五四キログラムと約一〇キログラムの体重の減少があり、脱力発作が見られるようになつた頃から、動悸を感じるようになつた。なお薬剤に対する過敏症、喘息などのアレルギー体質はこれまでに存在していない。また、その時の斉藤医師の理学的診察によると、正五郎は身長161.4センチメートル、体重五四キログラム、四肢の麻痺はなく、言語、運動歩行の点において障害はなく、眼球はやや突出している印象を与え、甲状腺の腫大、皮膚の汗ばみ、手指の震え、軽度の頻脈(一分間の脈拍数一〇〇程度)が認められたが、心臓の大きさは正常で脈拍に不整はなく、心臓の雑音もなく、胸部、腹部、神経系にも異常はなかつた。入院後の諸検査の結果、正五郎には尿、血液の赤血球と白血球の数に異常はなく、血圧は一五〇から七〇ミリメートル水銀柱で最高血圧はやや高めであり、胸部レントゲン写真でも心陰影の拡大や肺における異常陰影は認められなかつた。また心電図では、洞性頻脈があつたのみで不整脈、心肥大、心筋の傷害は全く認められず、血液中の糖分、ナトリウム、カリウム、塩素などの値は正常であつた。しかしながら、甲状腺の機能の成績はいずれも高い値を示し、甲状腺中毒症の存在が確認された。この結果、正五郎には、甲状腺中毒症による四肢麻痺の存在が考えられたが、正五郎は入院後も元気であり、同人の切実に訴えていた四肢麻痺と思われる発作は全く起こらず、この症状が存在することは確認できなかつた。

(三) 甲状腺中毒症の場合、時に筋肉の異常を伴うことがあり、これを甲状腺中毒性ミオパチーと呼んでいる。この中にはいくつかの疾患が含まれるが、正五郎から聴取した病歴から、斉藤医師は、正五郎の訴えている四肢の脱力発作は甲状腺中毒症に合併した周期性四肢麻痺である可能性が大きいと考えた。この甲状腺中毒症に合併した周期性四肢麻痺においては、麻痺発作時には血清中のカリウムの濃度は低下するのが通例であるが、まれに上昇をみる例が報告されており、この両者では治療法が全く反対である。そこで斉藤医師は、正五郎が訴えている四肢の脱力発作が周期性四肢麻痺によるものかどうかの診断を確定し更にこの発作がカリウム濃度が上昇する型か、それとも低下する型かを明らかにし、今後の治療方針を定めるために、本件検査を実施することにした。この検査は、周期性四肢麻痺やその検査について知識と経験を有する村田医師が実施することになつた。

(四) 村田医師は、第一回目の本件検査を実施する日の前日である昭和四五年四月七日午後五時頃、病室に正五郎を訪れ、同人の病状につき、甲状腺中毒症に合併した周期性四肢麻痺が疑われているので、四肢麻痺の診断を確定するために本件検査を行なう必要のあること、本件検査の際には頭痛、嘔気等の副作用が出現することがあること、翌日は朝食を食べないことなどの説明を行なつたところ、正五郎は右検査を受けることを承諾した。

(五) 正五郎に対する第一回目の検査は、同月八日午前九時三〇分頃より行なわれ、五〇パーセントブドウ糖液三〇〇mlにインシユリン一〇単位を加えて静脈内点滴注入を行ない、午前一一時頃にこれを終了した。しかし、その結果、麻痺は起らず、血清カリウムは点滴前の3.8より3.6mEq/L(正常5.0より3.5mEq/L)に低下したにすぎず、診断を確定することができなかつた。一方、点滴中に副作用らしいものは認められず、ただ、点滴終了後約一〇分ほどたつてから、正五郎が村田医師の制止をきかず、徒歩で便所に行き、排尿を終つて帰る途中、眩暈を起こし歩けなくなつたので、直ちに村田医師が診察し、手押車に乗せて帰室したが、この時は握力、血圧、脈拍に著しい変化はなく、特別な処置を要することなくまもなく回復し、昼食も普通にとつた。その後の四日間も正五郎の状態は変りなく元気であつた。

(六) 第二回目の検査は、同月一三日、同じく村田医師によつて実施されたが、この第二回目の検査のときも第一回目のときと同様、前々日の同月一一日午後五時頃、村田医師が病室に正五郎を訪れ、第一回目の検査で麻痺が起こらなかつたので四肢麻痺の診断が確定していないこと、前回はブドウ糖とインシユリンの量が少なかつたので、ブドウ糖とインシユリンの量を通常行なわれている量まで増量して再度検査を行なう予定であることを説明したところ、正五郎は拒否する態度は全く示さず承諾した。

(七) 前回のブドウ糖・インシユリンの負荷量では、発作が誘発されなかつたので村田医師は、今回は五〇パーセントブドウ糖液五〇〇ml静脈内点滴注入とインシユリン二〇単位の筋肉内注射をすることにした。この投与量は、本件検査を行なうに当つて、わが国の各施設で通常用いられている量であつた。同月一三日、第一回目のときと同様、心電計、血圧計などの正五郎の状態を監視するために必要な器械を直ちに使用できるように準備し、血清カリウムの低下に備えて塩化カリ錠、塩化カリ紛末、アスパラK注射液を用意して、午前九時三〇分頃から正五郎に対し、五〇パーセントブドウ糖液五〇〇mlの静脈内点滴注入を開始し、同時にインシユリン二〇単位を筋肉内注射し、静脈内点滴注入は午前一一時頃終了した。この点滴中、村田医師は同病棟にある検査室、看護室と往復する以外は常に正五郎の傍らにおり、血圧、脈拍、握力、四肢の運動その他の一般状態の管理、観察に当つた。午前一〇半頃、正五郎が動悸を訴えたが特に処置することなく短時間で治まり、午前一一時頃握力は検査前の三五kgから二五㎏に軽度低下したが、その他の身体的状態に変化はなかつた。点滴終了後も村田医師は正五郎に付き添つていたが、午前一一時四〇分頃、正五郎は軽度の嘔気を訴えたものの、処置をすることなくまもなく治まつた。それからしばらくの間は変化がみられず、午後一時より一時半頃までの間、正五郎の握力は一五kgから二〇kg位で、四肢の運動もやや緩慢になつたが、なお自動的に動かすことができ、麻痺は軽度と考えられ、血圧、脈拍その他の身体的状態にも異常が認められなかつた。

(八) ところが、午後一時三〇分頃、正五郎は動悸、発汗、全身の脱力感とともに突然胸が苦しいと訴えた。村田医師が診察したところ、血圧は最高七〇最低四〇ミリメートル水銀柱と著明に低下し、脈拍も一分間一一八回で緊張不良であつた。直ちに心電図を撮影した結果、かなりの低カリウム血があると判断された。心電図撮影の直後から不整脈が頻発し、血圧も更に低下した。このように正五郎の状態が急速に悪化したので、血清カリウム上昇の目的で普通行なわれるようなカリウム剤の経口投与では、血清カリウムの上昇をみるまでに時間がかかりすぎて対処できないと考え、静脈内点滴注入用のカリウム稀釈液(五パーセントブドウ糖液五〇〇mlにアスパラK三〇mlを加えたもの)の調整を看護婦に指示するとともに、アスパラKを蒸留水にて一二〇mEq/L程度に稀釈したものを作り、極めて徐々に静脈内に注入を開始した。約一分を要してこの液一ないし二mlを注入したが、不整脈は全く改善されなかつた。このため注入を一時中止したが、正五郎の一般状態は更に悪化し、意識障害もみられるようになつた。午後二時頃酸素吸入を開始し、更に未だ心停止には至つていないが、著しい心機能の低下があると考えられたので、第二内科の他の医師達の応援を得て心臓マツサージと人工呼吸を開始するとともに、アドレナリン、ノルアドレナリン、ネオシネジン(いずれも強心剤)を注射した。また、この頃、さきに看護婦に調製を指示したカリウム稀釈液五〇〇mlの点滴を開始した。午後二時三〇分頃、麻酔科医の応援をうけて気管内挿管を行なつて気道を確保し、蘇生器による人工呼吸を開始した。この時、メイロン五管(重炭酸ナトリウム)、ソルコーテフ(副腎皮質ホルモン剤)三管を注射した。午後二時四〇分、カリウム稀釈液の点滴が終了したところで低分子テキストラン五〇〇mlの点滴に切り換えた。同時に側管(静脈内点滴注入の際、他の注射液を同時に注入するために用いる側枝)からソルコーテフ三管、ノルアドレナリン二管、メイロン一〇管を注入した。午後三時頃、採血を行ない、低分子テキストランの点滴が終了したので、引継き五パーセントブドウ糖五〇〇ml、更に三時四〇分頃、これが終了したのに続いて低分子テキストラン五〇〇mlにアスパラK一〇mlを加えて点滴を行なつた。この頃、午後三時に採血した血清のカリウムが三3.5mEq/Lと正常域まで回復したとの報告があつた。しかし、午後四時頃に至るも自発呼吸なく、自発的心臓拍動もみられなかった。その後も心臓マッサージと人工呼吸を続けた。午後四時四〇分頃、プロタノール二管を側管から注入したが効果がなかつた。午後六時頃、死亡と判定し蘇生術を中止した。なお、後日判明したところでは、前記アスパラK一二〇mEq/L液静脈内点滴注入開始直前の血清カリウム値は1.4mEq/Lと著しく低下していた。

2  被告の無過失の主張

(一) 医療行為といういわゆる方法の債務に対する債務不履行責任については、「債務者ノ責ニ帰スベキ事由」すなわち、債務者の過失又は信義則上これと同視すべき事由による不完全履行があつたか否かが問題となるが、本件の場合の債務不履行責任の有無は、本件を不法行為と構成した場合のその責任の有無を決定すべき医師の過失行為の有無によつて判断されることになる。過失はいうまでもなく、注意義務違反であり、結果回避義務違反であつて、この義務違反の成立には結果に対する予見可能性のあることが前提となる。そうすると、本件においては、まず、1本件事故当時の医学上の定説として、誘発試験は生命の危険を伴う試験であつたか否かが問題となり、2ついで誘発試験に右のような危険を伴うものでないとしても、その実施中、(一)医師として遵守すべき検査方法をとつていたか、(二)異常事態の発生を見過ごさなかつたか、(三)異常事態が発生した場合に相当の措置をとつたかどうか、ということが確められなければならないであろう。

(二) まず、前記1の点について、鑑定人里吉営二郎の鑑定書第二項は「本誘発法は古くは割合に安全と考えられており、国分は(資科三、日内誌四五巻一三〇頁昭和三一年)誘発により一過性に低K血と四肢麻痺を起こし、殆んど生命の危険なく経過し、K塩補給によつて確実、迅速に回復する云々とのべている。また、最近の内科の成書でも(甲第一九号証)多数のセンターで重篤な合併症をおこすことなく行なわれてきているとのべている。古い欧米の文献でも、この方法による生命の危険性には全く記載がなく、最近の専門書(資料一)でも繰返し本方法を行つて診断を確定するのが最も良い方法であるとされている。」としながら、鑑定人自身の経験では、「甲状腺機能亢進症を伴つた周期性四肢麻痺に本方法を施行すると一般に苦痛が強く」「稀には不整脈、房室完全プロツクを示し、不快感、不安感、胸痛を強く訴える例もある。意識の障害はないが生命の危険を感じられる様な場合が稀に経験されている(甲第一七号証)。従来、このようなことは一般に記載されておらなかつたので、鑑定人はこの検査の危険のあることを昭和四〇年及び四二年に発表し(甲第一七、第二三号証)その後、昭和四六年同様の趣旨のことが紫芝によつても述べられており(甲第一八号証)、伝聞として二例の事故をあげ『この誘発方法は危険であると思う』と主張している。」とし、したがつて、本件検査は「安全と考えられているとは云え、極めて稀には心血管系の障害ないし呼吸麻痺を起して生命の危険ないしは死亡することも有り得るものと考える。」と結論している。しかし、本件事故発生の昭和四五年四月以前に、本件検査の危険性にふれている文献は、里吉鑑定人が発表した「神経研究の進歩」第九巻第二号一二四頁(甲第一七号証)、「現代内科学大系」年刊追補一九六七―a三七頁(同第二三号証)の二つの記載のみであり、その記載も、周期性四肢麻痺患者のうち甲状腺中毒症に起因するものは、心合併症を起こしやすいから注意を要すると述べているものであつて、本件検査を禁止すべきであると主張しているわけではない。また、右の二つの文献の一つは、神経学研究者を対象とした季刊誌の一内容であり、他の一つは、現代内科学大系のうち年刊追補として発行されたものの一内容であつて昭和四五年四月の時点では、教科書的一般的記載ということはできない。さらに、大学病院において、昭和三三年から昭和四六年五月までの間、甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺の症例二八例について本件検査を行なつているが(甲第一四号証)、事故が発生したのは本件だけであることも斟酌されなければならない。そして、文献に本件検査による事故が報ぜられたのは、昭和四六年発刊「バセドウ病のすべて」における紫芝論文「バセドウ病と筋疾患」(甲第一八号証)である。紫芝によれば、甲状腺中毒性周期性四肢麻痺の「診断を確実にしたい場合、誘発を試みることであるが、注意しないと危険を伴う場合がある。われわれは、50%グルコース・インシユリンの点滴によつて誘発を行なつて、一例も事故はなかつたが、他の施設で同様の試みを行なつて死亡した例を一例、また、直接死亡にはいたらなかつたが、シヨツクに陥り、中枢神経機能が回復しない一例の話を聞いたことがあり、この誘発法は危険であると思う」というのである。そうだからこそ里吉鑑定第七項は、「昭和四五年当時この誘発試験方法による死亡事故を予め予測することは、試験施行者村田医師を含めて一般には殆んどなかつたものと判断出来る。したがつて当時事故死の可能性を予測して防止する方法を予め準備することはあり得ないと考えられる。」と結論する。

(三) 次に、2(一)の点について、里吉鑑定第六項の「第一の一般に行われているインシユリン・ブドウ糖負荷試験で通常行われている観察体制をとつていたか否かという立場」のもとでは、「村田医師は本誘発試験中は経時的に四肢の症状を観察し、採血をして血清カリウム測定を行つていたことは明らかで患者に対する観察は充分行われていたものと考えられる。この点では医師として払うべき注意義務は果されていたと判断出来る。心電図による経時的観察は行われていないが、当時においては絶対に行なわなければならないという一般的な記載がみられず、比較的条件と考えられる。」と判断している。ちなみに、本件検査における心電図による経時的監視の必要性について記載のある文献は、甲第一九号証(昭和四六年発行)、同第二〇号証(昭和四五年四月発行)、同第二五号証(昭和四九年一一月発行)であつて、これ以前には経時的監視は一般に要求されていなかつたのである。したがつて、原告ら主張の心電図による経時的な観察を実施しなかつたことは過失を構成しない。

(四) 2(二)の点についても、心電図による経時的観察が誘発試験観察中の絶対的必要条件ではなく、比較的条件とすれば、村田医師が患者の容態が急変した午後一時四〇分以前に起こつたであろう異常状態の発見ができなかつたとしてもやむを得ないところである。村田医師は、経時的に、しかも頻繁に患者の血圧、脈拍、筋力の測定、一般状態の観察を行なつており、午前一一時に血清カリウム濃度が2.5mEq/Lと低下し低カリウム血となつていても、右濃度は採血時より遅れて判明すること、低カリウム血が直ちに死亡につながるものでないこと、同時刻に握力は検査前の三五kgから二五kgに軽度の低下しかしていないこと、午前一一時四〇分頃患者が吐気を訴え、口渇がみられたが、この症状は、高張ブドウ糖静脈注射による症状であつて、これまで本件患者のみならず本件検査を受けた他の患者にも認められたものであること、午後一時より同一時半頃までの間の握力は一五kgから二〇kg位で、血圧、脈拍にも異常が認められなかつたことを考えると、村田医師が午後一時四〇分の急変以前に異常状態を想定しなかつたとしても不自然ではない。

(五) 2(三)の点についても、里吉鑑定は、村田医師の措置の妥当なことを認めている。

以上の次第であるから、村田医師の本件検査の実施になんらの過失はないから被告の責任もまたないものといわなければならない。

3  原告らの主張に対する反論

(一) 本件検査の必要性について

(1) 甲状腺中毒性の場合には、時に筋の機能異常を伴うことがあり、これは甲状腺中毒性ミオパチーと呼ばれているが、この中には、急性ミオパチー、慢性ミオパチー、重症無力症、周期性四肢麻痺の四つの型があり、正五郎の場合、本人の主訴から、脱力発作は甲状腺中毒症に伴つた周期性四肢麻痺である可能性が最も大きかつたが、入院後、発作は全く起こらず、このような周期性四肢麻痺であることの診断を確定することができなかつた。また、甲状腺中毒症に伴う周期性四肢麻痺においては、発作中に血清カリウムの濃度が低下するのが普通であつて、この場合にはカリウム剤を投与することによつて麻痺が抑制されるのであるが、他方、わが国において二例だけ発作時に血清カリウムの濃度が上昇した例が報告されており、他に一例、自然発作時における血清カリウムの濃度が高かつたのに、検査の際にはカリウムの濃度の低下を示した例が報告されており、このように、発作時にカリウムの濃度が上昇する場合には、カリウム剤を投与することによつて、麻痺はむしろ誘発されることになるから、カリウムの濃度が低下する場合とは治療法が全く異なるのである。ところで、甲状腺中毒症による周期性四肢麻痺は、甲状腺中毒症の治療を行なうことによつて発作は消失する。しかし、正五郎に実施する予定であつたアイソトープによる治療は、治癒状態になるまでにアイソトープ投与後最低六か月を要し、その間、四肢麻痺発作があらわれる可能性があり、その際、対症療法が必要であつた。以上のことから、本件検査は、正五郎の諸症状が甲状腺中毒症に合併した周期性四肢麻痺によるものであることを確定し、更に、低カリウム血性か高カリウム血性かを鑑別することにより、今後の治療法を決定するため必要であつたことは明らかである。

(2) 原告らは、正五郎の場合も、病歴聴取により、甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺であるとの診断がなされていたものと十分推認しうるから、本件検査は必要でなかつたと主張し、このことを裏付ける事実として、温度板の診断名の記載、看護日誌における「二週間後に退院許可がでたと喜んでいる。」との記載、診療報酬請求明細書の傷病名欄の記載をあげているが、鳥飼内科入院病歴(甲第五号証の一〇)によれば、入院時、主治医の斉藤医師は、「甲状腺機能亢進症は確実だろう。これに伴う四肢麻痺として検査をすすめる。」とし、疑診はおいたものの、確診のための検査が今後必要なことを記載している。およそ本症に関して「診断」という場合には、ただ単に周期性四肢麻痺の存否のみに止らず、それが低カリウム血性、高カリウム血性、正常カリウム血性の何れに基づくかについても確定してその病像をより明らかにすべきものであり、これについては麻痺発作時の血清カリウムを測定する以外に決定の方法がない。原告らは、低カリウム血性以外の四肢麻痺症例は極めて稀であると主張しているが、それが稀であるということは、本件検査が不必要であるとする理由にならないことは明白である。また、看護日誌の記載、診療報酬請求明細書の傷病名の記載も、正五郎が甲状腺機能亢進症を伴う周期性四肢麻痺と診断されていたことの傍証となるものではない。そもそも、大学病院において、二週間も先の退院許可など普通あり得ないことであり、右看護日誌のどの部分をみても二週間後の退院の許可が出たとの記載はないし、昭和四五年四月七日については、「二週間後に退院の許可でたと喜んでいる。」と患者の様子を記載してあるにすぎないのである。診療報酬請求明細書の傷病名欄の病名については、診断が確定していない場合にも断定的に書く場合もあり、診療費を請求するための説明としての意味が大きく、疑診であつてもそのまま病名として記載するのが常である。

次に、原告らは、斉藤医師が、看護婦に対し、麻痺発作時の措置としてカリウム投与を指示していることから、高カリウム血性のものであるかも知れないことは、全く同医師の念頭になかつたことを示し、本件検査の必要でなかつた証拠であると主張し、これを裏付ける事情として、鳥飼教授の著書と論文中に高カリウム血性のものについて言及されていないことを指摘している。しかし、斉藤医師の指示は、「医師指示書」(甲第八号証の一)の一時的指示欄の記載によつてなされたものであつて、継続的指示ではなく、検査によつて高カリウム血性か低カリウム血性かが決定されるまでの間に、もし麻痺と思われる発作が起きた場合には、一番蓋然性の高い、つまり低カリウム血性だろうと決断し、緊急処置を行なおうとしたにすぎないのであり、鳥飼教授の著書や論文に高カリウム性の本症についてふれていない理由は、発行の時点で最初の症例が報告されただけなので敢て言及しなかつたに過ぎないこと(著書)、一般開業医を対象にしたもので、バセドウ病に伴う周期性四肢麻痺自体が非常に稀な病気であること(論文)によるものである。一方当時の第二内科においては、甲状腺機能亢進症を伴わない周期性四肢麻痺で麻痺発作時正常カリウム血であつた症例を経験しており、低カリウム血性以外の四肢麻痺例が存在することについては十分な認識をもつていたのである。

さらに、原告らは、正五郎の死後、第二内科においては一、二件を除いて本件検査を施行していないことなどが、正五郎に対して本件検査をする必要のなかつたことを十分に示していると主張するが、第二内科においては、正五郎の死後、本件検査を実施しなくなつたのは、本件検査の安全性に対する認識が一変したためであり、自然発作をまつために起こる入院期間の過度の延長、あるいは入院中発作がみられなかつたため退院時までも治療方針を確定し得ないなど患者への不利益はあるものの、これと死亡事故の可能性との軽重を勘案した場合、死亡の危険性のある検査は避けるべきであると判断したことによるものである。したがつて、正五郎の死後と、それ以前とを同一の基準で判断し、死後に実施しなくなつたから正五郎に対しても必要なかつたとするのは正しくない。

以上に述べたとおり、本件検査が診断上必要がなかつたとする原告らの主張はすべて失当である。

(3) 原告らは、本件検査は村田医師によつてなされた研究上の人体実験であると主張するが、本件検査は、村田医師からの申出により、斉藤医師が検査の施行を村田医師に依頼したものであつて、村田医師の申出の有無にかかわらず、その実施は予定されていたものである。すなわち、斉藤医師は、正五郎の入院時に、周期性四肢麻痺として検査をすすめる旨、病歴に記載しており、周期性四肢麻痺に関する検査とは、自然発作がみられないかぎり、本件検査を意味するからである。なお、原告らは、村田医師の本件検査に関する知識と経験に対し疑念を懐いているが、元来、本症は甲状腺中毒症患者が極めて多い第二内科ですら年間二、三例にすぎず、その発症割合は、甲状腺中毒症患者三〇ないし五〇例に周期性四肢麻痺を伴うものが一例程度であり、甲状腺中毒症は開業医などの第一線の医師では年に一例みるかみないかの頻度であるから、甲状腺中毒症に伴う周期性四肢麻痺の症例は、普通の医師が一生に一度診察の機会があるかないかという程度に稀なものなのであり、このことからみて、村田医師の三回の経験は決して少ないものではない。

また、原告らは、村田医師が本件検査を実施するに当つて、医師指示書にマンニツトールの準備を指示していることから、正五郎に対してなされた本件検査が研究のための人体実験であったことが明であると主張するが、本件検査が周期性四肢麻痺の診断に有用であり、誘発方法も当時実施されていた標備的方法であることは前述したところであり、マンニツトール溶液にしても、本件検査を施行して麻痺が誘発された際、その回復措置として使用する可能性もあり得る薬品として準備されたものであり、かつ現実には全く使用されなかつたのである。なお、マンニツトールは、細胞内には移行せず、腎から速やかに排泄されるため、腎機能の低下がない限り、危険な副作用のない薬剤なのである。要するに、マンニツトールは、本件検査の施行そのものとは本質的に関係がないのであり、これを準備していたことから本件検査が人体実験であることが明らかであるという原告らの主張は当らない。

(二) 本件検査の危険性について

まず、本件検査の副作用について二つに大別でき、第一は頭痛、嘔気、嘔吐などの症状で、程度の差はあるが、本件検査に際してはかなりの頻度で認められるものであり、これらの症状は、負荷したブドウ糖が血液の浸透圧に比べて著しく高い浸透圧をもつために、軽い中枢神経系の脱水が起こり、頭痛、嘔気などが惹起されるものであり、これらの症状自体には危険がない。第二は本件検査によつて誘発した四肢麻痺と低カリウム血症によるもので、これは周期性四肢麻痺そのものの症状といつてよく、四肢麻痺のほか、全身倦怠感、四肢の脱力、腹部膨満、頻脈、時として不整脈も認められるが、これらの症状は、周期性四肢麻痺の自然発作の際にも認められる症状と同じものであり、副作用というよりも、本件検査によつて誘発された周期性四肢麻痺の発作そのものであると考えられる。次に、周期性四肢麻痺患者は、高カリウム血型のものを除けば、甲状腺中毒症に由来するものも含めて炭水化物を過剰に摂取すると血清カリウムの低下を起こし易く、これに伴つて筋麻痺(周期性四肢麻痺の発作)が起こる。本件検査は五〇パーセントブドウ糖にインシユリンを加えて、静脈内点滴注入をすることにより、細胞外液、(血清もその一部)中のカリウムを細胞内(主に筋細胞)に移動させ、血清カリウムの低下を起こし、これによつて周期性四肢麻痺の存在の確認を目的とするものであり、本件検査による麻痺発作と自然発作(誘発を行なわなかつた状態で起こつた麻痺発作)とでは、麻痺の発生する機構は同じであると考えられている。ところで、一般に、血清中のカリウム濃度と骨格筋や心筋の細胞内カリウム濃度との比が骨格筋や心筋の興奮性に関係があることはよく知られているが、血清カリウム濃度を極端に低下させると、四肢筋のみならず心筋にも影響が及んで、四肢麻痺のみならず心停止をもひき起こす可能性があるといえる。そこで、このような可能性を防止し、安全に四肢麻痺の存在を確認するために、一般にブドウ糖については五〇パーセント溶液五〇〇ml、インシユリンについては二〇単位(いずれも、第二回目の本件検査の際正五郎に投与された量で、わが国の文献に記載されている通常の量であつて危険なものとはいえない。)が用いられており、この方法による四肢麻痺発作の誘発では、本件検査を実施する時点まで、大学病院の第二内科においては二八例の甲状腺中毒性周期性四肢麻患者に対して本件検査を安全に実施しており、死亡したことは一度もなかつたし、他に死亡例の報告も全くなかつたから、本件検査は心停止を起こす危険性があるという原告らの主張は一般論にすぎず、本件検査の条件の範囲内では危険な検査であるということはできない。右のように、本件事故当時において、本件検査は、一般に特に生命の危険がある検査とは認識されていなかつたし、誘発に用いたブドウ糖とインシユリンの量も文献に記載されている標準的なものであつて、この点において担当医師に過失はなかつた。したがつて、原告らの右主張も失当である。

(三) 監視義務の懈怠について

本件検査が非常に危険なものとは考えられていなかつたことは、前述したとおりであり、また、一般に本件検査において、検査を中止し、カリウム剤を投与して回復措置を講じるのは、次の二つの場合であると考えられる。その一は、麻痺が誘発された場合であつて、このときは検査の目的を達しているのであるから、これ以上検査を継続する必要はないことになるが、この場合であつても、麻痺の程度が軽く、その後も増強する徴候がなければ、必ずしも回復措置としてカリウム剤を投与する必要はない。なぜならば、本件検査は、ブドウ糖とインシユリンを投与することによつて周期性四肢麻痺発作を再現することを目的とするものであるが、四肢麻痺発作に伴う低カリウム血は、一般の低カリウム血のように体内のカリウムが欠之する結果として起こるのではなく、単に、細胞外から細胞内へのカリウムの移動の結果起こるにすぎず、体内の総カリウム量は欠之していないのであるから、時間の経過とともにカリウムは再び細胞内から細胞外へと自然に復帰し、その結果低カリウム血も正常に戻るからである。したがつて、麻痺の程度が軽くてその後も増強する徴候がないときは、回復措置としてカリウム剤を投与する必要はない。その二は、検査中に心臓血管系に異常が認められた場合であつて、たとえば不整脈などの調律障害や血圧低下がみられたときは、検査を中止し回復措置を講ずることを考慮しなければならない。第二回目の本件検査の場合は、正五郎は、ブドウ糖とインシユリン投与終了時である午前一一時から二時間を経た午後一時になつても筋力の低下は軽度であつて、麻痺が誘発されたとは確定できなかつた。ところが、午後一時三〇分になつて、正五郎は突然胸が苦しいと訴え、直ちに村田医師が診察したところ、頻脈とともに血圧低下が認められたので、正五郎の心臓の状態を知るために心電図を記録した。しかし、この時まで村田医師は、正五郎に付き添つて頻繁に血圧、脈拍、筋力の測定、一般状態の監視を行なつていたが、心臓・血管系に異常な徴候は認められなかつた。なるほど、村田医師は午後一時三〇分に至るまで正五郎の心電図の記録を行なわなかつたが、村田医師としては、この点について経時的に心電図を記録しなくとも、脈拍、血圧、一般状態などに注意していれば、仮に心臓・血管系に異常が起きても、直ちに対処できると判断していたからである。原告らは心電図を経時的に記録していれば、著しい低カリウム血状態に陥つていることに気付きえたし、回復措置も講じえたと主張するのであるが、心電図では低カリウム血の存在を推定することはできるが、その絶対値を知りうるものではないし、更に著しい低カリウム血状態では心電図上調律異常が認められることがあるが、これは心電図を記録しなくとも脈拍をみることによつて発見できるものである。更に、本件では村田医師が正五郎に付き添つて頻繁に血圧、脈拍、一般状態を監視して異常な徴候がないことを確認していたのであるから、午後一時三〇分以前に経時的に心電図の記録を行なつていたとしても、午後一時三〇分頃突然始まつた血圧低下と急性心停止を予測することはできず、正五郎の急性心停止を回避しえなかつたものと考えられるから、心電図による監視をしなかつたために回復措置を講ずるのが遅れたものということはできない。

(四) 回復措置の遅滞について

前述したように、本件では村田医師が頻繁に正五郎を診察していたが、午後一時三〇分頃までは、血圧低下、調律異常、その他の身体的異常は認められなかつたし、筋力の低下も軽度であつたので、検査を中止してカリウムを投与する必要はなかつたのであるから、午後一時三〇分以前に回復措置を講ずべきであつたという原告らの主張は当らない。また、正五郎にみられた嘔気、口渇などの症状は、これまで本件検査を行なつた他の人々にも一般に認められたもので、これは濃度の高いブドウ糖による高浸透圧血による細胞内脱水に由来するものと考えられるが、麻痺や急性心停止の前兆とは関係がない。なお、原告らは、点滴終了後まもなく正五郎に麻痺が生じたと主張するが、本件検査によつて麻痺が誘発されたかどうかの判定は、握力の測定のみならず、手足を自由に動かすことができるかどうか、患者の握力測定時の気力など、医師が患者から受ける印象をも含めた総合的な判断によつてなされるものである。また、一時的な握力の低下は麻痺が誘発されない場合でも起こり得るから、握力の低下も一定時間持続しなければ麻痺が誘発されたとは判定されない。本件において、正五郎は点滴終了後、軽度の握力の低下が認められるが、手足は自由に動かすことが可能な状態であつたので、村田医師はこの時点では麻痺が誘発されたとは判定していない。そして、午後一時すぎになお握力の低下が持続していたことから、麻痺が誘発されたように見受けられるようになつたとき、突然容態の急変が起こつたものである。その後の措置については前述したとおりであつて、被告に回復措置の遅滞はない。したがつて、原告らの右主張も失当である。

四、原告らの反論

1  無過失の主張について

本件検査については、数多くの文献<証拠略>によつてその危険性が指摘されている。なるほど、本件事故発生前に公刊されたものは、被告主張の二つの文献のみである。被告は、このうち「神経研究の進歩」については「神経研究者を対象とした季刊誌の一内容であり」、「現代内科学大系」については「現代内科学大系のうち年刊追補として発行されたものの一内容であつて」、いずれも「昭和四五年四月の時点では、教科書的一般的記載ということはできない。」と主張しているが、前者の文献について言うならば、本来周期性四肢麻痺は神経学の分野と大きく関わり合つているものであり、医学研究者がよく利用する「医学中央雑誌」(甲第三一号証、日本における医学の文献索引のための雑誌)の「四肢麻痺」の項からも簡単に見つけ出すことのできるものであり、また、後者の文献も、日本の内科学の権威者の監修および編集になるものであり、しかも、周期性四肢麻痺の研究については第一人者である里吉教授の書かれたものである。被告が「教科書的一般的記載ということはできない。」という意味はよくわからないが、いずれにしても、大学病院に勤務する医師には高度の調査研究義務があるといわねばならず、しかも、被告の主張によれば、正五郎に対して本件検査を施行した村田医師は、周期性四肢麻痺やその誘発試験について知識と経験を有するというのであるから、なお一層高度の義務を課せられてもやむを得ないものであり、いずれにしても被告の主張は失当である。ところで、前者の文献では、甲状腺機能亢進症の患者に対し、本件検査を施行した場合、ひどい時には完全ブロツクなどを起こして、しばしば生命の危険を感じるような危い橋を渡ることがあると述べられ、また、後者の文献では、急激な心不全、時には完全ブロツク、急性心停止の起こることがあるから注意を要すると記されている。すなわち、右二つの文献においては、「生命の危険」そのものについて触れられており、したがつて、本件においては、死そのものについて予見が可能であつたものといわなければならない。また、板原克哉外一名「周期性四肢麻痺の診断」(「内科」一九七〇年四月号六八四頁甲第二〇号証)は、一九七〇年四月号所収のものであり、丁度正五郎が死亡した頃に公刊されたものであり、その著者は、以前第二内科の助教授であつて、第二内科在任中は主力となつて本件検査を施行していたものであるが、右文献には、「試験実施中は頻脈や不整脈、血圧の測定を行ない、心電図を観察しながら、QT時間の延長、U波高の増大、QRS棘、ST低下、T平担化などの変動に注意し、他方握力、下肢の屈曲伸度、挙上試験を行ない、腱反射の変化を観察するのが常である。」との記載があり、その記載の仕方から言つて、当時の大学病院における本件検査施行方法の一般的水準を表わすものであることは明らかであり、右文献によつても、本件検査が心臓に対し絶えず観察を要するほどの影響を及ぼすおそれのあるものであることが十分うかがわれる。また、村田医師自身、本件検査が、被検査者の心臓に重大な影響を及ぼすおそれがあり、ブロツク、急性心停止なども起こりうるということを、前掲の各文献に目を通したことがあるか否かに関係なく、知識として十分もつていたもので、だからこそ、村田医師も、本件検査施行の際、心電計を(それにより実際に観察したかどうかは別として)準備するというようなことをしたのであろう。以上述べたところから、村田医師が、本件検査が心臓に対し重大な影響を及ぼし、場合によつては、死亡することもありうることを認識していたことは明らかであり、被告の予見可能性がなかつたとの主張は失当である。

2  本件検査の危険性について

本件検査の危険性に関し、被告は、「一般に血清中のカリウム濃度と骨格筋や心筋の細胞内カリウム濃度との比が骨格筋の興奮性に関係があることはよく知られているが、血清カリウム濃度を極端に低下させると、四肢筋のみならず心筋にも影響が及んで、四肢麻痺のみならず心停止をひき起こす可能性があるといえる。そこで、このような可能性を防止し、安全に四肢麻痺の存在を確認するために、一般にブドウ糖については五〇パーセント溶液五〇〇ml、インシユリンについては二〇単位が用いられており、この方法による四肢麻痺発作の誘発では、本件検査を実施する時点まで死亡例の報告は全くなかつた。」旨主張するが、右の主張は、一方において、薬品の量を捨象した一般論としては、血清カリウム濃度の低下についての危険性を認め、他方において、具体的な本件検査に用いられた薬品の量のもとでの安全性を強調するものであるが、本件検査に用いられた薬品の量によつても必ずしも安全であるといえないことは、「(検査を中止する場合の)その二は、検査中に心臓血管系に異常が認められた場合であつて、たとえば不整脈などの調律障害や血圧低下がみられたときは、検査を中止し回復措置を講ずることを考慮しなければならない。」(被告の監視義務の懈怠に対する反論)と、被告も認めているところであり、それ自体、前記の薬品の量のもとであつても、検査中に心臓血管系に異常が生ずる場合のあることを認めているものである。なお、被告は、本件検査の安全性を主張するに当り、本件事故までの間に死亡例の報告がなかつたことを強調するが、それは、検査を施行するに際して遵守すべき義務を守る限り安全であることを物語るものではあつても、遵守すべき義務に反した方法で施行した場合でも全く安全であることまで保障するものとはいえない。そればかりでなく、大学病院としては、本件事故につき外部に一切報告をしていないのであり、それにもかかわらず、死亡例の報告がなかつたから安全であるなどと主張するのは全く失当である。

3  監視義務の懈怠について

被告は、そもそも「本件検査が非常に危険なものとは考えられていなかつた」ものであり、また、「心電図では低カリウム血の存在は推定できるが、その絶対値を知りうるものではない。」と反論しているが、本件検査の危険性、特に心臓に与える影響については、すでに述べたとおりであり、また、心電図の機能に関しては、原告らは「心電図によつて、カリウムの絶対値を知りうる。」などと主張しているものではないし、本件事故当時の第二内科においては、大体の人が、本件検査施行中、患者に不整脈など脈拍の異常があつた場合、患者が苦痛を訴えた場合および麻痺が進行した場合に心電図を取らなければならないとの認識をもち、実行していたものである。したがつて、少なくとも、患者に不整脈など脈拍の異常があつた場合、患者が苦痛を訴えた場合および麻痺が進行した場合に、本件検査施行者に心電図による観察をなす義務があることは明らかである。ところで、本件検査の施行者である村田医師は、正五郎に軽度の四肢麻痺が生じ、動悸がみられた午前一〇時三〇分(甲第九号証の三)の時点においても、麻痺がかなり進行した時点(甲第五号証の一八によると、午前一一時には、下肢挙上時間が零に近くなつている。)においても、また、全身の脱力感が著明で、結滞(不整脈の一種)がみられ、吐気をもよおした午前一一時四〇分(甲第九号証の三)の時点においても、一度も心電図を観察しておらず、善管注意義務に違反していることは明白である。

4  回復措置の遅滞について

被告は、「正五郎は点滴終了後、軽度の握力の低下が認められるが、手足は自由に動かすことが可能な状態であつたので、村田医師はこの時点では麻痺が誘発されたとは判定していない」のであり、午後一時三〇分頃までは、身体的異常は認められなかつたと主張しているが、正五郎は、午前一一時の時点で、下肢挙上時間が零になつていることが明らかであり(甲第五号証の一八)、このことは、「試験の中止および麻痺回復の措置はこの誘発試験によつて明らかな麻痺が起つた場合直ちに行われるのが普通である。どの程度の麻痺が生じた時にこの処置をとるかは検査施行者の判断によるものであるが、上下肢、殊に下肢に中等度以上の明らかな弛緩性麻痺を認めれば回復措置に移るのが普通である。中等以上の明らかな麻痺とはどの程度を示すか一定の規準はないが、握力が試験開始時の半分以下ないし一〇kg以下となり、下肢の挙上が不能で、起立、歩行が不可能の状態であれば充分である。」とされ、なお、「回復措置は早目に行わないと効果を示す迄に麻痺が進行してしまうので可急的速かに始める必要がある。」(以上鑑定書第五項)とされていること、「下肢挙上不能に陥入る麻痺の発来」(甲第一四号証)をもつて麻痺の誘発が生じたとみていること、「(下肢挙上時間が)一〇秒位まで行けば麻痺が起きたと考えてよろしいんじやないですか。」「そこまで行けば、もう麻痺が完成したものとして、中止してもいいと考えました。」(以上証人小林勇の証言)とされていること、「午前一一時に……下肢筋力は挙上不能となつている」(鑑定書第六項)こと、「このように、下肢挙上時間が急速に落ちたというような場合には、足をかなり自由に動かすことができるような場合でも、ある程度、麻痺が起こつたものと、これは、不完全麻痺になるわけですけれども、麻痺と言つても、不全麻痺が起こつたものと判定していいんじやなかろうかと、これは、そういうふうに、後になつて考えたわけであります。」(証人鳥飼龍生の証言)とされていることから、午前一一時の時点で、正五郎に麻痺が生じ、検査の目的も達したのであるから、ただちに検査を中止し、回復措置を講ずべきであつたことは明らかである。また、午前一一時四〇分の時点においては、全身の脱力感が著明であり、結滞がみられ、吐気をもよおすということがあつた(甲第九号証の三)こと、この時点での正五郎は、顔面蒼白で、手と足が麻痺し、胸が苦しいと言つており、水が飲みたいといつていて、自分は驚いたという感じであつた(証人木村あきよの証言)というのであり、このことは、「麻痺がなくとも一般に副作用が高度で激しい頭痛と共に悪心、嘔吐が起つたり、頻脈や不整脈が生じたりして、試験完了迄、たえられない様な一般状態の悪化が起れば直ちに中止すべきである。」(鑑定書第五項)とされていること、小林医師が本件検査を施行した際、期外収縮(結滞)が出たような場合には、検査を中止してkcl(塩化カリウム)を飲ませた(証人小林勇の証言)ということであり、「午前十一時四十分の時点で回復措置に移つていれば死亡を防止出来た可能性がある。但し、この際の患者の状態の判断は極めて微妙で甲第九号証の三で脈拍九八、結滞ありという記載があるが、脈拍数が試験開始時と変らないと考えて判断するか、結滞という異常を重視するかにかかつている。」(鑑定書第七項)とされているが、医療においては、いやしくも人の生命に対する危険の発生の可能性を示す何らかの予兆が認められた場合には、他の要素によつて、その可能性が完全に打ち消されるのであればともかく、そうでないかぎりは、医師は、ただちに危険防止の措置をとるべき義務があるというべきである。したがつて、正五郎に結滞の出現など、前記のような異常な症状がみられた午前一一時四〇分の時点においても、試験を中止することなく、また何らの回復措置をとらなかつた村田医師に、この点における善管注意義務違反があつたことも明らかである。

第三  証拠<略>

理由

一当事者間に争いのない事実

請求原因1の事実中、正五郎が昭和四四年暮頃より上下肢の発作的な麻痺等の症状を訴えていたこと、正五郎の発作的に起こる上下肢の麻痺はバセドウ病に合併した周期性四肢麻痺であると「診断」されたこと、正五郎が入院後も「非常に」元気でやがてアイソトープによる治療を受けて全快し、退院するのを楽しみにしていたことを除くその余の事実、同2(一)の事実中、昭和四五年三月一七日、正五郎と被告(大学病院)との間で、被告が正五郎の病気について診断並びに治療をする旨の準委任契約を締結したこと、したがつて、被告は、右契約の本旨に従い、善良な管理者の注意をもつて、適切な診断と治療をなすべき注意義務があつたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二正五郎の死亡に至るまでの状況

1  正五郎の入院に至る経過

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(一)  正五郎は、本件で大学病院に入院する二年位前から、手足に痺れが来ると家族の者に言つてはいたが、それは日常生活に支障を来たすほどのものではなかつた。ただ、昭和四四年一二月頃より体重の減少に気付き、家族の者からは眼がやや大きくなつたのではないかと言われるようになつた。正五郎は、昭和四五年一月一〇日頃、山形県鶴岡市方面でバイクに乗つていたところ、雪のためスリツプし、バイクと共に道路上に転倒したものの、特に打ち付けてひどい傷を負つたということもなく、そのまま直ちに自力でバイクに乗つて帰ることができた。翌日の午前三時頃、尿意を催したので便所に行こうとしたところ、両上下肢に力が入らず、起き上がることができなかつたので、同僚に助けられて便所に行き自力で排尿した。同月一一日頃、正五郎は、同県寒河江市にある佐藤内科医院に入院したが、右の四肢麻痺は、同月一二日の午後五時頃まで続き、この頃より次第に力が出て来て、同月一三日午前一〇時頃には起立可能となり、便所にも自力で行けるようになつた。正五郎は、入院後歩行も可能となつたこともあり、右医院に八日間入院しただけで希望して退院したが、一週間後再び起立不能となり、また右医院に一五日間入院した。そして退院後も右医院に通院していたが、経過が思わしくなく、また右の四肢麻痺の原因もはつきりしなかったことから、右医院から大学病院を紹介された。なお、正五郎は、右医院において最初の麻痺が回復し、同医院を退院した後にも、入浴した翌朝に起立が困難となり、自分でマツサージをしばらくしていると起立ができるようになつたということが、大学病院に来るまで七、八回あつた。

(二)  正五郎は、同年三月一七日、右佐藤内科医院の紹介で大学病院第二内科の外来を訪れた。第二内科においては、外来の新患担当医であつた小林医師が正五郎の診察に当つた。小林医師が正五郎を問診したところ、正五郎の主訴は手足の麻痺と震えであり、正五郎はバイクで転倒したその晩から手足の麻痺が来ているため、バイクの事故との関連を非常に重視しているようであつたが、右麻痺が転倒後一二時間位たつてから起こり、その麻痺は二、三日で自然に直つていること、その後も四肢の脱力発作が数回、大体夜から朝にかけて起こつているようであつたことから、右事故の外傷による神経麻痺ではなく、いわゆる周期性四肢麻痺の範ちゆうに入るものではないかと考えられた。そこで、さらに正五郎を診察したところ、正五郎はやや痩せ型で、汗はあまりかいていないということだが皮膚は少ししつとりしており、眼球はそれほど突出してはいなかつたが輝いており、バセドウの眼症状が認められたほか、手足の震えがあり、甲状腺腫も軽度ながら認められ、躯幹に近い上腕筋とか大腿筋の萎縮が比較的著明であり、その部分を中心に線維性あるいは線束性挿といつたものがかなり著明にみられたこと、そういつた筋肉の脱力がかなり著明であることが認められた。小林医師は、右問診の結果から、正五郎の診断名を「甲状腺中毒性ミオパチー+甲状腺中毒性周期性四肢麻痺」としたが、この診断名はかなり可能性の強いものではあるが、まだ疑いの程度であつた。そこで、小林医師は正五郎に対し、右診断にかかる甲状腺機能亢進症があるか否かを確かめる必要があること、正五郎の症状を治療するためには入院が必要であること、周期性四肢麻痺があるか否かを調べる必要があること等を指摘し、入院して検査を進め、はつきり診断がつけば治療の可能性があり、直る見込みが十分あることを告げて入院を勧めたところ、正五郎は不治の病ではないかと悩んでいたこともあつて、入院の勧めを喜んで承諾した。

2  正五郎の入院後本件事故前までの状況

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(一)  正五郎は、昭和四五年三月二三日、原告京子に付き添われてはいたが、自分で歩いて大学病院第二内科に入院し、同日主治医である斉藤医師の診察を受けた。斉藤医師が正五郎を問診したところ、正五郎は、初回の四肢麻痺発作後、入浴した翌朝起立が困難となり、自分でしばらくマツサージをすると起立できるようになるという発作が七、八回あり、このうち二回位は前の晩過食しているようであつたこと、入院時の体重は健康時より一〇キログラム程減つていたこと、初回の発作時から動悸がみられたこと、その頃から全身特に手指の震えがひどくなつてきたこと等を訴え、また、正五郎の主訴は、手足の力がなくなるということと痩せてきたということであつた。次に、斉藤医師の診察によると、正五郎の入院時の身長は161.4センチメートル、体重は五四キログラムであつたこと、皮膚が汗ばんでいること、眼球はやや突出しているのではないかと思われたこと、脈拍数は一分間に一〇〇回と普通の人に比べて少し多いようであつたこと、甲状腺が少し腫れているようであること、肩や背部、大腿部の各筋に萎縮が認められたこと、手足の震えが著明であつたこと、膝蓋腱反射では両側に軽度の亢進のあつたこと等が認められたが、その他、意識、言語、運動および歩行といつた神経学的な異常は認められなかつたし(なお、握力測定の結果右三五kg、左三〇kgであつた。)、心臓の大きさは正常で、脈拍に不整はなく、心臓の難音もなかつたし、胸部、腹部等にも異常は認められなかつた。さらに、正五郎に対する入院後の諸検査の結果、正五郎に特徴的だと思われる症状として、心電図によると脈拍が少し速いこと、血清クレアチンが高い(1.60mg/dl)こと(甲状腺機能亢進症の場合には高くなる。)、基礎代謝率が高い(+五四%)こと、右目が少し出ていること、甲状腺Ⅰ131摂取率が高い(56.6%)こと、トリオスル試験が高い(四一%)こと等が認められた。この他、血圧は一五〇から七〇ミリメートル水銀柱であり、胸部レントゲン写真では肺に異常が認められなかつた。斉藤医師は、正五郎に対する入院時の診察や検査等の結果から、正五郎の症状は、甲状腺機能亢進症であつて、四肢麻痺もこれに伴う周期性四肢麻痺の疑いが強く、検査を進める必要があると考えた。斉藤医師は、正五郎に対するその後の諸検査の結果をも考慮し、正五郎は甲状腺機能亢進症であると確定したので、同症状に対する治療として、正五郎の四五歳という年令を考慮し、アイソトープ治療を行なうこととした。

(二)  斉藤医師は、正五郎について、本件検査により周期性四肢麻痺があるか否かを確かめ、さらに四肢麻痺発作が起きたとき血液中のカリウムを計ると、カリウムが低くなる場合(低カリウム血症)とカリウムが高くなる場合(高カリウム血症)とがあり、低カリウム血症か高カリウム血症かにより、その治療方法も異なるため、右四肢麻痺発作が起きた際、いずれのタイプに属するかをも確かめることとしたが、右検査をするまでに自然発作が起こつた場合のことを考え、同月二六日に、塩化カリウム腸溶錠三グラムを麻痺発作時(起立不能時)に投与すること、この投与でよくならないときはさらにこれを三グラム投与することを看護婦に指示した。この指示は、検査前に四肢麻痺発作が起きた場合に、検査によつて診断が確定するまで治療をしないわけにもいかないため、最も蓋然性の高い低カリウム血症であろうと推測し、これの治療薬を与えてもらうためのものであつた。しかしながら、正五郎は、入院後も元気であり、正五郎の主訴の一つであつた四肢麻痺の自然発作は起こらず、周期性四肢麻痺の存在すら確定できなかつた。そこで、斉藤医師は、本件検査をしてもらおうとしていたところ、たまたま、当時周期性四肢麻痺において麻痺が起こつたとき、電解質や細胞外の水分が細胞内にどのように移動するかということに興味を持つていた村田医師から、本件検査をやつてみたいとの申出を受けたので、これを了解し、村田医師に本件検査をしてもらうことにした。

(三)  村田医師は、正五郎に対する本件検査を同年四月八日に実施することとし、検査前日の夕方病室に正五郎を訪ね、本件検査の必要性や副作用、検査当日の朝食は食べないこと等を説明したところ、正五郎から本件検査をすることの承諾を得た。そこで、村田医師は、本件検査の際通常用いられている最(五〇%ブドウ糖五〇〇ccとインシユリン二〇単位)より少量の五〇%ブドウ絹三〇〇ccとインシユリン一〇単位を使用して、本件検査を実施することとし、さらに心電計、血圧計、握力計のほか、麻痺が起こつた時の治療薬として塩化カリの錠剤と紛末、アスパラK等を準備した。なお、正五郎の全身状態については、事前にカルテを見たほか、検査を始める直前に聴打診し、脈拍をみ、血圧を計る等して把握した。第一回目の検査は、同月八日午前九時三〇分頃から静脈内に点滴を開始し、同一一時頃に点滴を終了した。この検査においては、血清カリウムが3.8mEq/Lから3.4mEq/Lと低下の傾向を示したが、脱力は極めて軽度で誘発は不成功に終つた。点滴終了直後の午前一一時一〇分頃、正五郎は便所に行くと言い、村田医師や看護婦らはこれを制止したけれども、正五郎は「大丈夫だ。行ける。」と言つて、看護婦らに付き添われて静かに歩いて行き、便所で排尿後、帰ろうとした際眩暈を起こし、その場にうずくまつたので、看護婦が行つてみると、正五郎は顔面蒼白で冷汗を流していたので、すぐに村田医師を呼び、同医師が脈をとつたりしてから、手押車に腰掛けさせて病室に帰るということがあり、その際の血圧は一五〇から七〇ミリメートル水銀柱であり、脈拍は一分間に一〇二回であつた。ところで、村田医師は、第一回目の検査において誘発が成功しなかつたのは、ブドウ糖とインシユリンの量が通常用いられているものよりも少量であつたことによるものか、それとも正五郎は本件検査では誘発されない人なのかとも考えたが、再度本件検査を実施すべく、斉藤医師に対し、第一回目の検査結果を報告し、再度本件検査を実施したい旨申し出たところ、同医師の了解を得ることができた。なお、正五郎は、第一回目の検査において、右のような便所に行つて眩暈を起こしたということはあつたものの、その後は元気であり、同月一一日には病院内の床屋に行き、散髪をしてくるほどであつた。

3  正五郎の本件事故当日の状況

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(一)  村田医師は、正五郎に対し、同月一三日に再度本件検査を実施することとし、同月一一日午後、病室に正五郎を訪ね、再度本件検査を実施することの説明をし、同人の承諾を得た。そこで村田医師は、第一回目の検査の時と同様の事前準備をし、検査する前に聴打診、血圧測定、脈拍測定等をして、正五郎の一般状態を把握した。第一回目の検査と異なる点は、ブドウ糖が五〇〇ccとインシユリンが二〇単位と量が増えている点だけである。

(二)  同月一三日午前九時三〇分頃から五〇%ブドウ糖五〇〇ccとインシユリン二〇単位の点滴を開始した。点滴開始後の同一〇時三〇分頃、正五郎の足が軽く硬直したような感じであり、正五郎も足がちよつと突つ張るようだと述べており、また動悸をも訴えていたが、村田医師が診察したところ、右症状は緩和した。点滴は同一一時頃終了したが、点滴終了後の同一一時四〇分頃、正五郎の病室からのコールホーンにより、看護婦が病室に行つてみると、正五郎は顔面蒼白で、足の硬直があり、全身の脱力感を訴えていたほか、胸が苦しいとか、水が飲みたいとか、嘔気がすると訴えており、脈拍を測つたところ一分間に九八回で結滞も認められたので、看護婦が直ちに村田医師を呼びに行き、同医師が診察すると、正五郎はまもなく落ち着いた。なお、その際正五郎にはうがいをさせた。同日午後一時四〇分頃、正五郎は顔面蒼白となり、発汗が認められたほか、全身脱力感、口渇、胸部苦悶をしきりに訴えており、村田医師が脈拍を測定したところ一分間に一一八回で微弱であつて、結滞もだんだんと出て来たほか、血圧も七〇から四〇ミリメートル水銀柱と低下していた。そこで、村田医師が心電図を取つてみると、異常な状態であつたため、たまたま病室の前を通りかかつた小林医師を呼び止め、心電図を見てもらつた。小林医師は、心電図を見たところ、一見して非常に頻脈があり、波の感じ(本件検査によるものであることや正五郎の状態を考慮し)から、非常にカリウムが低下し、これが引き金になつて心臓機能が非常に低下していると判断したので、村田医師に対し、急速にカリウムを補う必要があり、正五郎の状態からみて、塩化カリの紛末を水に溶いて飲ませていたのでは間に合わないと考え、カリウムを静脈注射によつて補うことを助言し、自ら看護婦に右注射用の五%ブドウ糖五〇〇ccにアスパラK三筒を加えたカリウム稀釈液の作成を指示するとともに、約五〇ccの注射器にアスパラK約半筒を七倍位に薄めたものを作り、正五郎の脈拍や全身状態をも観察しながら、村田医師をしてごくゆつくりと静脈注入を始めさせたが、一、二分後、ますます不整脈が強くなり、また一時、一、二秒脈拍が止まつたりすることもあつたため、一時注入をやめて様子を見ていたが、ますます脈拍が落ち、欠損が強まつてきたので、今度は村田医師が心臓マツサージを始め、静脈注射の方は小林医師が受け持ち、以後しばらくゆつくりと注入をしていると、当初看護婦に指示しておいたカリウム稀釈液が出来てきたので、その後これに切り替えて点滴静脈注入を開始し、またベツトの上では心臓マツサージや人工呼吸のための圧迫が十分にかからないため、正五郎を床に降ろし、小林医師も村田医師と共に心臓マツサージを始めた。なお、この頃アドレナリン、ノルアドレナリン、ネオシネジンといつた強心剤をも注射した。同二時三〇分頃、医師の他の医師のほか、麻酔科からも医師が応援に来て、気管内に管を挿入し、蘇生器による人工呼吸を開始するとともに、メイロン(重炭酸ナトリウム)五管、ソルコーテフ(副腎皮質ホルモン)三管を注射した。同二時四〇分頃、カリウム稀釈液の点滴が終了したので、麻酔科医の指示により、低分子デキストラン五〇〇ccを更に点滴することとし、これに切り換えるとともに、メイロン一〇管、ソルコーテフ三管、ノルアドレナリン二管を注射した。同三時頃、低分子デキストランの点滴が終了したので、引き続き五%ブドウ糖五〇〇cc点滴し、またカリウム測定のため採血し、さらに心臓マツサージをもした。同三時四〇分頃、右ブドウ糖点滴の終了後、低分子デキストラン五〇〇ccにアスパラK一管を加えて点滴注入し、心臓マツサージを続行した。この頃、三時に採血した血清カリウム値が3.5mEq/Lであるとの報告があつた。同四時頃になつても、自発呼吸はなく、脈拍も回復しなかつた。同四時四〇分頃、プロタノール二管を注入し、心臓マツサージを続けたが効果がなく、同五時五〇分に急性心停止による死亡と判定された。

(三)  ところで、第二回目の検査の際の各測定結果は、次のとおりであつた。すなわち、検査実施前の同日午前八時三〇分頃のナトリウムは一四〇mEq/L、カルシウムは107.2mEq/L、カリウムは四mEq/Lであり、同九時頃の下肢挙上時間は約五〇秒、握力は左右共に三〇kgから三五kgの間であつた。また、右検査実施後の同一一時頃のナトリウムは一三三mEq/L、カルシウムは104.4mEq/L、カリウムは2.5mEq/L、下肢挙上時間は同一〇時頃から急激に低下して零に近くなつており、握力は左右とも約二五kgであつた。なお、握力は同日午後零時頃に左右共に一〇kgから一五kgの間まで低下した。同一時頃のナトリウムは一四二mEq/L、カルシウムは112.3mEq/L、カリウムは二mEq/L、握力は左右共に一五kgから二〇kgの間である。同一時三〇分頃の下肢挙上時間は右一一時頃から引き続きほぼ零であり、握力は左右共に約一五kgであつた。同二時のナトリウムは一四一mEq/L、カルシウムは110.2mEq/L、カリウムは1.4mEq/Lであつた。

三被告の責任

正五郎と被告(大学病院)との間に、昭和四五年三月一七日、被告が正五郎の病気について診断並びに治療をする旨の準委任契約が締結されたこと、したがつて、被告は右契約の本旨に従い、善良なる管理者の注意をもつて、適切な診断と治療をなすべき注意義務があつたこと、村田医師は大学病院に勤務する医師であつたことは、いずれも前記一のとおり当事者間に争いがなく、右事実によれば、村田医師は被告の正五郎に対する右債務を履行する履行補助者であるというべきである。

そこで、以下被告(すなわち村田医師)に債務不履行による責任が認められるか否かを検討する。

1  医師の注意義務

人の生命や健康の管理を義務とする医師には、その業務の性質に照らし、患者の危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務が要求され、特に、大学病院のように、日頃から専門医としての研究の機会に恵まれ、人的・物的な医療設備の充実した、また他の医師の協力が直ちに得られやすい環境のなかで診療に携わつている医師については、一般の開業医よりもより高度な注意義務が課せられているというべきである。ところで、医師の患者に対する具体的な処置の取り方については、医師の自由裁量に委ねられているが、その処置は、当時の医学の所産に従つたものでなければならないし、また、当時の医学によつて認められた手段を尽したものでなければならない。医師が右の義務に違反したときは、医師としての注意義務を怠つたものとして、責任を負わなければならない。

そこで、以下、本件において、本件検査の必要性、その危険性、第二回目の検査について、それぞれ右に述べた意味での注意義務が尽されているか否かについて検討する。

2  本件検査の必要性

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

正五郎については、斉藤医師の入院時の問診および診察、その後の諸検査から、甲状腺機能亢進症であることの診断はできたが、その主訴の一つであつた四肢の脱力発作は、右症状に伴う周期性四肢麻痺であることが疑われたものの、入院後自然発作も起こらなかつたため、その診断を確定させることはできなかつた。また、斉藤医師は、正五郎の甲状腺機能亢進症の治療にはアイソトープを飲ませることとしたが、アイソトープによる治療をしても、治癒状態になるまで最低六か月位はかかることから、その間甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺の現われることも十分に考えられ、右麻痺が起きた場合には、患者の日常生活に支障を来たすため、これを対症的に治療することが必要となつたが、当時甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺の場合には、麻痺発作の起こつた際、血清カリウム濃度が低くなる場合と高くなる場合とが知られており、低くなつた場合にはカリウム剤を補充することによつて麻痺から回復させることができるが、高くなつた場合にカリウム剤を補充するとかえつて麻痺を誘発させることになるというように、いずれの場合であるかによつて、麻痺の治療方法が異なるため、正五郎が右のいずれの場合であるかをも確定する必要があつた。なお、他に一例だけ、自発発作の際には血清カリウムが高くなり、本件検査の際には低くなつたものが報告されていた。ところで、当時周期性四肢麻痺の発作を誘発する方法としては、甘い物を多量に摂取させる飽食法や本件検査に用いられた誘発法等があり、当時一般的には右の誘発法が用いられており、第二内科においても、昭和三三年頃から右の誘発法を用いて麻痺の誘発を行なつていた。

右認定事実によれば、正五郎に対しては、甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺の診断を確定し、その治療方法を決定することが要請されていたものではあるが、右診断を確定し、その治療方法を決定するためには、右飽食法や本件検査等が存したが、本件検査が一般的に用いられていたものであることから、村田医師が正五郎に対して実施した本件検査は、右診断の確定やその治療方法を決定するための検査方法として、当時一応是認されていたものであるといわなければならない。

原告らは、本件検査はバセドウ病の治療上必要のない検査であるほか、正五郎の四肢麻痺は甲状腺機能症に伴う周期性四肢麻痺であるとの診断がなされていたものと十分推認しうる旨主張しているが、斉藤医師は、正五郎に対する入院時の問診や診察、その他の諸検査、新患での外来のカルテ等により、正五郎については甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺ではないかということが強く疑われたが、入院後正五郎の四肢麻痺の自然発作は一度も起きず、右の診断は確信にまでは至つていなかつたこと、斉藤医師が同年三月二六日の時点で医師の指示書により、正五郎に対する麻痺発作時の措置としてカリウム剤の投与を指示したのも、診断が確定していないからといつて、麻痺が起こつたのに治療をしないわけにもいかず、最も蓋然性の高い低カリウム血症の治療に必要なカリウム剤の投与を指示したまでで、診断が確定していてそのような指示を出したものではないことは、前記二2(一)(二)確定のとおりであり、また、<証拠>によれば、温度板一枚目の診断名の鉛筆書をペン書に改めた部分と同二枚目の診断名のペン書部分は、いずれも正五郎死亡後に記載されたものであること、看護日誌の同年四月七日欄に、「二週間後に退院の許可でたと喜んでいる。」との部分は、当時斉藤医師が、正五郎に対する甲状腺機能検査は一応終了し、残つている大きな検査は本件検査だけであり、この検査を早く終了させ、アイソトープによる治療をすれば、普通の人で右治療をしてから約一週間後、本件検査の実施期間等をも含め約二週間後には退院できるという趣旨のことを正五郎に伝えたところ、正五郎の方でこれを退院の許可と受け取つたものではないかと思われること、診療報酬請求明細書のうち、昭和四五年三月分のものの傷病名欄の「周期性四肢麻痺」との記載も、事務の方で、検査とか診断した場合に保険料を請求するため、診断名が確定しないのに断定的に書く場合もあること、鳥飼教授の著書および論文に高カリウム血症の周期性四肢麻痺について言及されていないことは、前者が高カリウム血症の報告例が一例のみなされていた当時のものであり、後者が一般開業医を対象としたもので、甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺自体極めて稀な病気であることから、いずれも言及しなかつたものであること、第一回目の検査が同年四月八日と、入院後かなり経過してから行なわれたことは、右検査が実施されるまで甲状腺機能亢進症に関する諸検査が行なわれていたためであること、正五郎の死後、第二内科において本件検査を実施しなくなつたのは、正五郎に対する本件検査の結果、危険性のある検査であるということが知られるようになり、このような危険な検査をするよりも、自然発作が起きない場合には診断が確定せず、患者にとつて入院期間が長びいたりする不利益はあるものの、生命に対する危険性を有する本件検査をすることは相当でないと考えたからによるものであること等が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はなく、右認定事実によれば、原告らが本件検査が必要でなかつたことを裏付けるものであると主張している事実は、いずれも必要性がなかつたことを裏付けるに足るものとはいえず、また、正五郎に対する本件検査の実施が是認されるものであつたこと前記のとおりであるから、原告らの右主張は失当というべきである。

次に、原告らの、本件検査は村田医師によつてなされた研究上の人体実験であるとの主張については、本件検査は村田医師が斉藤医師に申出、その了解を得て実施したものであるが、斉藤医師は当時本件検査の実施を依頼しようとしていたものであること、村田医師が当時周期性四肢麻痺において麻痺が起こつたとき、電解質や細胞外の水分が細胞内にどのように移動するかについて興味をもつていたこと等は、前記二2(二)認定のとおりであり、<証拠>によれば、甲状腺機能亢進症に伴う周期性四肢麻痺というのは非常に珍しい病気であり、甲状腺機能亢進症が三〇ないし五〇例に周期性四肢麻痺が一例認められる位であること、村田医師が周期性四肢麻痺の研究をしようと考えたのは、正五郎に対する本件検査より三か月位前に主治医として同じような患者を受け持つたことがきつかけであり、周期性四肢麻痺において、麻痺が起こつた時に主として水分が細胞内に取り込まれるとの説があり、正五郎に対する本件検査においても、そのとおりになるかどうか調べてみたいという気持があつたこと、村田医師の本件検査に対する経験は三度あり、一度目は見学であり、二度目は自ら実施し、三度目は他の医師の検査を手伝つたものであり、周期性四肢麻痺に対する本件検査において、三度の経験は必ずしも少ないものとはいえないこと、村田医師が医師の指示書によつて二〇%マンニツトール三〇〇mlの準備を指示し、右指示書に「もし麻痺が誘発されたときは二〇%マンニツトール三〇〇ml静注にて麻痺が改善するかどうかテストします。」と明記しているのは、村田医師は、麻痺によつて血清カリウムが低下するタイプの場合には細胞外の水分が細胞内に取り込まれるということが考えられるから、細胞内に取り込まれた水分を細胞外に引き出してやればカリウムも正常に復し、麻痺も回復するのではないかと考えたが、正五郎については麻痺が誘発された場合にまず塩化カリを飲んでもらい、それでも麻痺が回復しない場合に、患者に右の趣旨の説明をし、その同意を得てマンニツトールを使用しようとしたものであること、右のマンニツトールは実際は正五郎に対して使用されなかつたこと等の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はなく、これらの事実によれば、本件検査実施当時、村田医師が麻痺誘発時の細胞外から細胞内への水分の移動ということに興味を持ち、これが実際に起こるか否かを本件検査によつて確かめようとしていたことやマンニツトールの使用を考えていたことは認められるものの、他に正五郎に対する本件検査が人体実験であつたことを認めるべき証拠もなく、正五郎に対する本件検査が是認されるものであつたことは前記したとおりであるから、村田医師に右の意図があつたからといつて、このことをもつて正五郎に対する本件検査が人体実験であると非難するのは当らない。してみると、原告らの右主張も理由がないことになる。

3  本件検査の危険性

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

本件検査においては、五〇%ブドウ糖五〇〇ccに二〇単位のインシユリンを加えたものが標準的な量とされ、これを静脈内に注射し、細胞外液中のカリウムを細胞内に移動させて血清カリウムの低下を起こし、これによつて四肢麻痺の存在を確認しようとするものであるが、右検査に用いられるブドウ糖は血液に比べて浸透圧が高いため、軽い中枢神経系の脱水を起こし、頭痛、吐気、嘔吐等の副作用の認められる場合がある。また、正五郎に対する本件検査実施当時においては、四肢麻痺誘発の方法として、本件検査が一般的に是認されているとともに、本件検査によつて生命に対しいかなる危険性があるかについての指摘も一般的にはされていなかつた。さらに、第二内科においても正五郎に対して、本件検査がなされるまで数回にわたつて本件検査を実施したが、死亡事故は一件もなかつた。ただ、当時、神経研究方面の文献に、「……サイロトキシコージスのものは割合に苦痛を訴えます。ひどい時には完全にブロツクなどをおこして、しばしば生命の危険を感じるような危い橋を渡ることがあります。そういう点でサイロトキシコージスの場合には、割合に誘発を慎重にやつたほうがいいのではないかと感じております。」(里吉・神経研究の進歩第九巻条二号一二四頁、昭和四〇年七月二五日発行、甲第一七号証)と指摘するものや、内科関係の文献にも、診断として「麻痺の誘発を行なえば確実であるが、高張ブドウ糖五〇%五〇〇ml静注と二〇単位のレギユラー・インシユリン投与で急激な心不全、時には完全ブロツク、急性心停止の起こることがあるから注意を要する。」(里吉・現代内科学体系年刊追補一九六七―a三七頁、甲第二三号証)と指摘するものがあつた(右二つの文献の著者は本件鑑定人里吉営二郎であり、本件検査当時、本件検査の危険性を指摘する文献は右の二つだけであつた。)。本件検査の危険性についての指摘が多くの文献に認められるようになつてきたのは昭和四六年頃以後である。ところで、当時村田医師は、本件検査を実施した際に、場合によつては心不全や完全ブロツク、急性心停止等の生命に危険を及ぼすおそれのあることは文献を読んで知つていたが、従前本件検査を事故もなく実施してきたことから、本件検査に対する右危険性が検査をしてはならないという程の危険性とは認識していなかつたし、このことは当時の第二内科の医局において本件検査を行なつていた医師らにおいても同様であつた。なお、正五郎の死亡については、外部に対し、特に本件検査による死亡例としての報告はしなかつた。

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はなく、右認定事実によれば、正五郎に対する本件検査実施当時において五〇%ブドウ糖五〇〇ccにインシユリン二〇単位を加えて静脈注射し、これによつて四肢麻痺を誘発する方法は一般的に是認されていたものであり、また、当時既に一部の文献にその危険性が指摘されていたとはいえ、右の指摘も本件検査が危険であるから実施すべきでないというものではなく、検査を実施する際に危険性があるから注意すべきことを指摘しているものであり、このような指摘は本件以後昭和四六年頃から多く認められるようにはなつたものの、正五郎に対する本件検査当時の第二内科においては、本件以前に数回にわたつて本件検査を実施したが、患者の生命に危険を及ぼしたことは一度もなかつたことから、村田医師をも含め、同医局において本件検査を行なつていた医師らにおいて、本件検査が生命に対して危険を及ぼすおそれのあるものであるとの認識をもつていたとしても、右危険性の認識は、本件検査を実施すべきではないという程のものではないから、当時村田医師が正五郎に対し本件検査を実施したとしても、これをもつて直ちに同医師に過失があつたということはできない。しかしながら、当時においても本件検査が全く安全であるとまでは考えられていなかつたし、村田医師も文献を読んだ上であつたにしろ、その危険性の認識を有していたのであるから、正五郎に対する本件検査を実施する際、同検査が正五郎の生命に対して何らかの危険を及ぼすことがありうることの予見可能性はあつたものといわなければならない。してみると、本件検査が当時において全く安全な検査であつたとする被告の主張は失当といわなければならない。

4  第二回目の検査について

村田医師の正五郎に対する本件検査は、その実施が是認されること前記のとおりであるが、第二回目の本件検査の実施に際し、村田医師に注意義務違反があつたか否かを検討する。

(一)  第二回目の検査中、午後一時四〇分頃以後の正五郎の状態、これに対する村田医師の回復措置については、前記二3(二)認定のとおりである。

ところで、麻痺が生じた場合の回復措置としては、鑑定の結果によれば、「麻痺が強くならぬうちに塩化カリ五―一〇gを服用させる。一般には始め三g程度を与え、一、二時間後に一―二gを麻痺の回復する迄与えるのがよい。その他生理的食塩水ないし五%ブドウ糖に塩化カリを一五mEq/Lないし六〇mEq/Lの濃度にして点滴静注するか、アスパラギン酸カリ一〇mlを徐々に(三〇分かけて)点滴静注する。この際心電図をとりながら注射速度および量を加減することが重要である。急を要する場合は一般に注射法を用いる。」とされていることが認められ、他に回復措置として、右鑑定の結果に反する証拠はない。

右各認定事実によれば、村田医師は、右午後一時四〇分頃以後、正五郎の一般状態の診察および心電図検査を行なつたほか、まずアスパラKの静脈注射をするとともに、酸素吸入や心臓マツサージを行ない、さらに五%ブドウ糖五〇〇ccにアスパラK三筒を加えたカリウム稀釈液の静脈注射をも行なつているのであり、本件のような緊急の場合には、静脈内注射が用いられることから、村田医師が右段階において取つた措置は相当であつたというべきである。なお、このほか、村田医師は、正五郎が死亡するまで、アドレナリン等の強心剤の注射や人工蘇生器の使用、メイロン、ソルコーテフ、低分子デキストラン、五%ブドウ糖の注射等を行なつて、正五郎の回復措置を図つたことが認められ、村田医師が取つたこれらの措置が不相当であつたとする証拠はない。

右に述べたところから、村田医師において午後一時四〇分頃以後において取つた正五郎に対する回復措置は相当であつて、この段階において村田医師の注意義務違反を認めることはできない。

(二)  本件の場合には、さらに、村田医師について、右午後一時四〇分頃以前の段階で、正五郎に対して本件検査の中止およびその回復措置をなすべきであつたのに、これをしなかつた注意義務違反が存するのではないかが問題となる。

右検査における、本件事故当日の検査開始前から右午後一時四〇分頃までの正五郎の状況については、前記二3(二)(三)認定のとおりである。

ところで、本件検査においては、患者がどのような状態になつた場合に検査を中止して回復措置を取るべきかについて、鑑定の結果によれば、「この誘発試験によつて明らかな麻痺が起つた場合直ちに行われるのが普通である。どの程度の麻痺が生じた時にこの処置をとるかは検査施行者の判断によるものであるが、上下肢、殊に下に中等度以上の明らかな弛緩性麻痺を認めれば回復措置に移るのが普通である。中等度以上の明らかな麻痺とはどの程度を示すか一定の規準はないが、握力が試験開始時の半分以下ないし一〇kg以下となり、下肢の挙上が不能で、起立、歩行が不可能の状態であれば充分である……麻痺がなくとも一般に副作用が高度で激しい頭痛と共に悪心、嘔吐が起つたり、頻脈や不整脈が生じたりして、試験完了迄、たえられない様な一般状態の悪化が起れば直ちに中止すべきである。」とされていることが認められ、他に右鑑定の結果に反する証拠はない。

また、<証拠>によれば、本件検査の際、第二内科においては、通常心電計が病室に用意され、検査の開始から終了まで継続して心電図が取られているわけではないが、検査中、被検査者に不整脈が出て来たような場合、脈拍が非常に多くなつたり少なくなつたりした場合、苦痛を訴えたような場合、麻痺が出て来た場合等には心電図が取られるべきであることは、村田医師を含む同医局の医師らにおいて知られていたこと、本件以前に実施された本件検査の場合には、約三分の二位の患者について心電図が取られていたこと、村田医師自身も、過去の経験例では、被検査者の状況に応じ、例えば被検査者がちよつとひどそうだという場合、麻痺がだんだん起つて来たという場合には心電図が取られたことを経験していること、心電図による観察をしていれば、血清カリウム濃度をある程度知ることができ、したがつてカリウムの低下を大まかながら知ることができるし、心臓に生じた急激な異常を直ちに把握して対策を講じることもできるという利点のあること、村田医師が第二回目の検査の際心電図を取つたのは、右午後一時四〇分頃以後であり、それ以前には取つていないこと、本件検査が正五郎に対して実施された当時において、心電図による経時的監視は比較的条件であつて絶対的条件とはされていなかつたこと等が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

さらに、<証拠>によれば、「誘発試験施行中患者の安全性を保障するためには麻痺発作が起りつつあるか否か、麻痺の程度はどの位であるか、絶えず観察している必要がある。」(鑑定書第三項)とされ、また「試験実施中は頻脈や不整脈、血圧の測定を行ない、心電図を観察しながらQT時間の延長、U波高の増大、QRS棘、ST低下、T平担化などの変動に注意し、他方握力、下肢の屈曲伸展、挙上試験を行ない、腱反射の変化を観察するのが常である。」(板原外一名「周期性四肢麻痺の診断」内科二五巻四号六八頁、甲第二〇号証)とされ、さらに「麻痺発作は誘発された場合でも割合にゆつくりで、三〇分ないしそれ以上の時間をへて最高に達するのが常である。」(鑑定書第三項)とされ、「甲状腺中毒性周期性四肢麻痺で誘発によつて麻痺が生じた群では、麻痺は三〇〜一二〇分後に起こりはじめ、六〇〜一八〇分の間にその最高に達する。」(日本内科学会雑誌五二巻八号八七頁、乙第三号証)とされ、「したがつて通常三〇分間隔、時に必要に応じて短時間間隔で筋力テストを行ない、経過をみて行く必要がある。」(鑑定書第三項)とされていること、村田医師は第二回目の検査中、少なくとも血液中のカリウム等の状態を知るために採取した血液を血清に分離する作業のため看護部屋に行く場合や便所に行く場合等があり、正五郎のそばに常に付き添つてその症状を観察していたものではないこと、同医師は右検査中の午前一一時四〇分頃にも看護部屋におり、コールホーンによる呼び出しを受けた看護婦の知らせで病室に戻つていること、看護婦の木村あきよは、右検査の際正五郎の看護を担当していたが、他にも担当患者がいたため、常に正五郎に付き添つていたものではなく、また村田医師から、同医師が検査中正五郎の病床を離れる際には、常に代わつて様子を見ているようにと指示されたこともなかつたこと、村田医師は右の場合に他の医師や看護婦にこれを指示したようなこともなかつたこと等が認められ、右認定に反する証人村田輝紀の証言は、前掲各証拠に照らし、にわかに採用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実を総合すれば、正五郎は、午前一一時頃、下肢の挙上は不能でないにしろ、ほぼそれに近い状態であつたこと、握力は検査開始前の三〇ないし三五kgであつたが、午後零時頃は一〇ないし一五kgと約半分位まで低下していること、また、午前一一時四〇分頃には結滞という不整脈も認められるようになつたほか、正五郎の顔面は蒼白であり、全身の脱力感、胸が苦しい、水が飲みたい、嘔気がする等の訴えがあつたことを考慮するとき、午前一一時四〇分頃の段階で、村田医師が正五郎に麻痺が生じたものと認めなかつたとしても、正五郎には右検査を中止して回復措置を取るべき場合の症状として前述した症状の一部に当る症状が認められたのであり、また当時心電図による経時的監視が絶対的条件ではなく比較的条件であつたにしろ、不整脈が出て来た場合に心電図が取られるべきであることは村田医師を含む第二内科の医局の医師らにおいて知られていたものであるから、少なくとも、右段階で心電図が取られるべきであつた。本件においては、午後一時四〇分頃以後に心電図が取られるまで、村田医師は、正五郎に対する一般状態の観察から、正五郎の状態は心電図による観察を要するほどの異常と認めなかつたものであるが、村田医師は、前記したとおり、文献を読んだうえでの一般論にしろ、本件検査の生命に対する危険性の認識をもつていたものであるから、右検査を実施する際には慎重に注意してなすべきであり、正五郎に右のような一般状態が生じた場合、特に、午前一一時四〇分頃には正五郎に付き添つていたものではないし、また他の医師や看護婦らをして付き添わせていたものでもなく、麻痺の最も起こり易い同時刻頃正五郎の下を離れ、コールホーンによつて呼び出された看護婦の知らせで病室に戻り、急拠正五郎を診察したという経過があつたのであるから、自己の観察による判断のみによらず、心電図によつて正五郎の客観的状況を把握する必要があつたのであり、本件においては、午後一時四〇分頃以後の回復措置が間に合わなかつたのであるから、右午前一一時四〇分頃の段階で心電図による観察がなされていれば、その段階で検査を中止し、正五郎に対する回復措置を講じ救命することも十分可能であつたというべきである。してみると、村田医師が、午前一一時四〇分頃の段階で、正五郎に諸症状が表われているのに心電図による観察もせず、独自の判断で、正五郎の状態をいまだ回復措置をするほどに至つていないとして、回復措置を取らなかつたことは、村田医師に課せられた本件検査実施の際の注意義務に違反したものといわなければならないから、同医師には、正五郎に対し、心電図による観察並びにこれに基づく検査の中止および回復措置をなすべきであつたのにこれをなさなかつた注意義務違反があるというべきであり、このように、村田医師に注意義務違反を認めたからといつて、同医師が大学病院に勤務する医師であり、同病院第二内科において本件検査に対する数少ない経験者であることに鑑みれば、その注意義務は高度のものが要求されるのであるから、酷な負担を課するものということはできない。

なお、被告は、村田医師が午後一時四〇分以前に正五郎に起こつたであろう異常状態の発見ができなかつたとしてもやむを得ないから過失はない旨主張するが、右に述べたところから、被告の右主張は失当というべきである。

5  因果関係

正五郎の直接の死亡原因が急性心停止であつたことは前記二3(二)認定のとおりであり、<証拠>によれば、正五郎については、死後剖検がなされなかつたので、右急性心停止の原因が何かについては明確にならなかつたこと、しかしながら、右急性心停止に至る原因については、次の二つの推定が可能であり、その一は本件検査による低カリウム血に伴つて心機能不全を生じ、これにより心停止を生じたものと考える場合であり、その二は本件検査による低カリウム血などによつて惹起されたとはいえ、心停止は予測不能の他の原因、例えばシヨツク死ないしは潜在性の心筋障害が増悪し、心室細動を生じて心停止を起こしたと考える場合であるが、いずれの場合も、本件検査が引き金となつているものであることが認められる。してみると、正五郎の直接の死亡原因である急性心停止がいずれの経過をとつたものであるにせよ、正五郎は本件検査が誘因となつて死亡したものと認められるから、村田医師が前記注意義務を尽し、午前一一歳四〇分頃の段階で心電図による観察をなし、これに基づく検査の中止および回復措置に移つていれば、正五郎を救命し得たことも十分可能であつたから、村田医師が同時刻頃右処置をとらなかつた注意義務違反と正五郎の死亡との間には相当因果関係があるというべきである。

よつて、被告は正五郎が死亡したことによつて原告らの被つた損害を賠償すべき義務があるというべきである。

四損害

1  正五郎の逸失利益と相続

<証拠>によれば、正五郎は、大正一四年二月一七日生まれで、死亡当時四五歳であつたこと、同人はバセドウ病になるまでは健康で、山形県内の読売新聞販売店の販売拡張員として働き、昭和四四年度においては合計三四七一部の拡張をなし、拡張料として読売新聞山形県販売事務所から一部当り一二〇円と、県内の各販売所から一部当り二〇〇円の、それぞれ支払いを受けていたこと、右販売拡張料は、昭和四九年七月より、右の一部当り一二〇円が二〇〇円に、二〇〇円が六八〇円にとそれぞれ増額されたこと、正五郎の相続人としては原告ら三名であつたことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実によれば、正五郎は、満四六歳以後においても、少なくとも昭和四四年度と同程度の新聞の拡張部数があつたものと認めるのが相当であるから、正五郎の年間収入は、昭和四九年七月に増額されるまでが一一一万〇七二〇円(320円((一部当りの拡張料))×3471((年間拡張部数)))を、同年七月に増額された以後のそれが三〇五万四四八〇円(880円((一部当りの拡張料))×3471)を、それぞれ下回ることはなかつたものというべきであり、また正五郎の生活費は、その家族構成や収入等からみて、少なくとも右増額前までは一か月三万円、右増額後は、原告らの主張にかんがみ、年間所得の三〇パーセントと認めるのが相当であるから、正五郎の年間収入は、右増額前が七五万〇七二〇円(1,110,720円−((30,000円×12か月)))となり、右増額後のそれが二一三万八一三六円(3,054,480円×0.7)となる。ところで、正五郎は当時四五歳であつたが、バセドウ病の治療をし(但し、バセドウ病が治癒したと認められるためには、アイソトープによる治療後、少なくとも六か月位はかかること前記したとおりである。)、治癒したと認められる満四六歳から満六七歳まで二一年間は就労し得たものであるから、ホフマン式計算により、正五郎の死亡時における逸失利益の現価を求めると(但し、計算の便宜上、原告ら主張のとおり、所得、生活費とも正五郎が満五〇歳になつた時点((昭和五〇年二月一七日))で前記のように変動があつたものとして計算する。)二四四〇万四六五四円(但し、円未満は切捨て)({750,720×(4.364−0.952)}+{2,138,136×(14.580−4.364)}となる。

ところで、正五郎の相続人が原告ら三名であることは右認定のとおりであるから、原告らは、右逸失利益の各三分の一に相当する八一三万四八八四円(但し、円未満切捨て)の請求権を、それぞれ相続により取得したことになる。

2  葬祭費

原告黒沼京子本人尋問の結果によれば、原告京子は、正五郎の死亡により、その葬儀一切を主宰して行ない、その費用として三〇万円を下回らない額の支払いをしたことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はなく、右事実によれば、原告京子が正五郎の葬祭費として支出を余儀無くされた額は三〇万円と認めるのが相当である。

3  原告らの慰藉料

前記した正五郎の年令、職業、原告らとの関係その他本件に顕われた諸事情を考慮すると、原告らの被つた精神的損害に対する慰藉料の額は、原告京子について四〇〇万円、原告正則、同利明について各二〇〇万円と認めるのが相当である。

4  弁護士費用

<証拠>によれば、原告らは本件損害賠償の任意支払を受けることができず、本訴訟の提起追行を弁護士である原告ら訴訟代理人に委任し、その報酬として原告の金員の支払を約したことを認めることができ、本事案の内容、審理経過、認容額等に照らし、右金員のうち、原告らが被告に対し賠償を求めることができる弁護士費用は、原告各自について各一〇〇万円をもつて相当とする。

五結論

以上のとおりであるから、原告らの被告に対する本訴請求は、原告京子について一三四三万四八八四円および弁護士費用を除く内金一二四三万四八八四円については正五郎の死亡した日の翌日である昭和四五年四月一四日から、内金一〇〇万円については本訴状送達の日の翌日であることが明らかな昭和四八年二月二八日から各完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金、原告正則、同利明について各一一一三万四八八四円および弁護士費用を除く内金一〇一三万四八八四円については右昭和四五年四月一四日から、各内金一〇〇万円については右昭和四八年二月二八日から各完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める限度において理由があるからこれを正当として認容し、その余の請求は失当として棄却する。

よつて、民事訴訟法九二条、九三条、一九六条をそれぞれ適用し、なお仮執行免脱の宣言は相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(石川良雄 松本朝光 栗栖勲)

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